2011年12月25日日曜日

地主に返却した畑

  先週をもって借りていた畑、約100坪を地主に返した。

  この夏は結局ひまわりだけが育った。水やりなどほとんど世話をしなかったこともあり、秋に期待していたコスモスは芽が出ず当然花も咲かなかった。雑草ばかりが大きく成長し、今では枯れていた。枯れ草を伐採しそのまま畑に残した。また土に戻るものと思う。

   本日は恒例の第九交響曲を聴きに東京へ向かった。例年の日フィルと違って今年はレーニングラード国立歌劇場管弦楽団による東京駅前の東京国際フォーラム大ホールでの演奏会である。  

  クリスマスということもあって、メサイアからハレルヤコーラスなどもあり堪能した。バックグラウンドミュージックとして心地よい流れを感じるモーツアルトの曲に比べて、ベートーベンの曲は人間そのものの営みをいつも感じる。

   今年は大震災による福島原発事故があった。これも人間の営みの一つ。大震災の被害はこれからの復旧の努力で立ち直れることは間違いないと思うが、原発事故の今後は人間の知識の範囲を超えており、これから20年後、50年後、そのあともその解決の困難さが現実のものとなるのだろう。 

   つくばから柏にかけてホットスポットとなっているようで、関西地区へ移住するかと考えるこのごろである。関西地区へ移ればまた畑作業も出来るかもしれないが、もっと近くにある敦賀原発の事故により今以上の問題になる可能性もある。安心して生活できる環境はもう日本にはないようである。

   人間の営みの愚かさをつくづく感じる。これからの日本の苦難の歴史の始まりの年となった。ベートーベンの表現したかったFreude(歓喜)はこれからの日本には難しのか。

  しかし、音楽の世界では毎年歓喜の世界に触れられる。おろかな人間の営みとの比較で対照的な営みである。ベートーベンの偉大さを実感する日でもあった。

2011年12月5日月曜日

スターリング アンド フランシーヌ クラーク アートインスティチュート

         増設工事中のインスティチュート          ピーターパンバス(長距離路線バス)
            ウイリアムズタウン
11月下旬から12月初めにかけて仕事でアメリカはボストンに滞在した。その1日を利用してボストンから西300kmにあるウイリアムズタウンに赴いた。ボストン南駅バスセンターから長距離路線バス、ピーターパンバスに乗って、途中スプリングフィールド、ピッツフィールドで2回乗り換え、4時間半かけてようやく着いた。今までも2回訪れているが、今まではニューヨークから飛行機でオルバニーまで飛び、あとタクシーで来ている。オルバニーからはわずか50kmであった。 (ヨーロッパ駐在日記、1996年3月、ウィリアムズタウン
訪れた目的は自宅にある複製画、ルノワールの「コンサートにて」の本物をもう一度見るためである(http://tsukubanite.blogspot.com/2011_09_01_archive.html#8971557599166095718)。バスをおりてすぐ歩いてスターリング アンド フランシーヌ クラーク アート インスティチュートに着いた。
早速美術館の中に入ったが、あいにく増築工事のためほとんどの絵画は展示されておらず、ほんの僅かの絵画のみであった。「コンサートにて」も倉庫にあるとのことで残念ながら見ることは出来なかった。
増築工事は安藤忠雄さん設計で建設途中であった。安藤忠雄さんといえばヨーロッパ駐在時代にイタリアベニスを訪問したとき、その北にある町トレビゾに彼の設計による建物が建築中であると知った。
トレビゾはファッションで有名なベネトンの本拠地で、ベネトンが若い芸術家を育てるための学校「ファブリカ」を設立し、その建物の設計を安藤忠雄さんに依頼したもの。昔の古い建物との複合の斬新な設計であると聞いていた。先日テレビの番組では、すでに完成し新進の芸術家が育ち世界で活躍しているという。
この美術館の増設もその完成図を見ると斬新な設計になっており、この建物も芸術の研究・教育を実践する場として利用されるという。今までそれほど有名な美術館ではないが近い将来には世界的な話題になるかも知れない。
ウイリアムズタウンの芝生一面の緑で覆われた広々とした町並み、空気が澄んでおり、0℃前後の気温ではあるが寒いというよりもむしろピリッとして気持ちよくさえ感じる時間であった。

2011年11月5日土曜日

粟又ノ滝(養老ノ滝)



             万代ノ滝

             養老渓谷

            ライステラスカフェ

自然との調和を図る田舎暮らしで有名な中島デコさんが経営するライステラスカフェには今までも何度となく訪れているが、今日は紅葉の粟又ノ滝を見に行くため立ち寄った。つくばから圏央道を通り、あと在来道路で成田市内経由いすみ市岬町に着いた。ライステラスカフェで昼食をとり、その後近くの粟又ノ滝(養老の滝)に向かった。

茨城県にある袋田の滝(http://tsukubanite.blogspot.com/2010_01_01_archive.html#8338650564178561607)に比べて、粟又ノ滝は高さは大変低いが幅は同じような規模の滝であり、その養老渓谷沿いには万代の滝のような小さい滝もある。養老川のせせらぎを聞きながらの散策は気持ちがよい。紅葉にはまだ早かったが、それでもたくさんの人々が散策を楽しいんでいた。

帰りは袖ヶ浦から高速道路に入り、千葉市経由成田まで走り在来道路を通り、また圏央道でつくばに戻った。行き帰りとも3時間のドライブであった。

2011年11月3日木曜日

国分寺殿ヶ谷戸庭園



           次郎弁天の池

            紅葉亭

            湧き水

本日午前中新横浜での用件が終わり、その後まだ紅葉には早いが殿ヶ谷戸庭園に行くことにした。昼近くであったので新横浜から立川に立ち寄り、イタリアンレストランで昼食をとった。最近本格的なイタリアンを食べる機会がなく、久しぶりの本物のスパゲッティで美味しかった。

国分寺駅前に殿ヶ谷戸庭園は位置するが専用駐車場はなく、近くの有料駐車場に車を置いて散策した。次郎弁天の池から見上げると紅葉亭がある。この紅葉亭から池を見下ろすと一部紅葉が見られた。おそらく今月下旬には池の回りのもみじが真っ赤な姿に変貌するものと思う。

この庭園の名前は、昔この地が国分寺殿ヶ谷戸といわれていたことから由来する。国分寺崖線から湧き出る清水により池が出来ている。池にはたくさんの鯉が生息している。萩のトンネル、藤棚、カタクリ、寒椿など季節の花も見られるという。時期的に早く紅葉を満喫することは出来なかったが、都会にありながらその喧騒から離れてゆっくりと時間を過ごせるところであった。

2011年10月22日土曜日

向島百花園と清澄庭園

           向島百花園入り口

                萩

               吾亦紅

            清澄庭園入り口

              清澄庭園

つくばは朝から雨模様であったが午後には東京の天候が回復することを期待して東京の庭園を散歩することにした。期待していた通り、東京自宅に着くころには雨も止みまずは向島百花園に向かった。

向島百花園は今まで明治通りをドライブしているときによく通りかかる場所であるが、いつも立ち寄ったことはなかった。専用の駐車場がなかったが近くの一般の有料駐車場におくことが出来た。

園内には、萩、吾亦紅、アザミなどの花が咲いていた。有名な萩のトンネルの花はすでに終わっていた。約1時間の散歩を楽しみ、その後さらに清澄公園に向かった。大きな公園に隣接して清澄庭園がある。典型的な日本庭園で、池にはかも、鷺の鳥も見られ、日本の自然をそのまま小さくした姿である。

まもなく紅葉の季節であるが、日光などに遠出することなく都立の庭園・公園でも満喫出来る。すでに浜離宮、旧岩崎邸庭園、旧古河庭園、六義園、小石川後楽園は訪れ楽しんでいる。まだ訪問していない国分寺の殿ケ谷戸庭園も紅葉がきれいと聞いており、最盛期には訪れたいと思っている。

2011年10月1日土曜日

プッチーニの「ボエーム」

ホームシアター
ブタペストオペラハウス

  ヨーロッパ駐在時代の楽しみの一つがオペラであった(ヨーロッパ駐在日記、1993年4月 イースター休み1995年6月 バルトブルグ城1995年10月 ヴェッツラール1996年12月 ヘンゼルとグレーテル1997年2月 神々の黄昏 )。住んでいたデュッセルドルフのオペラハウスのみならず、ウィーン、ミュンヘン、エッセン、クサンテンのローマ遺跡劇場、ブレゲンツ湖上劇場など各所を訪れオペラを楽しんだ。

  さらには、ハンガリーをドライブしたときブタペストオペラハウスの当日券を購入し見ることが出来た(1994年8月、グラーシュズッペ)。ブタペストオペラハウスはパリのオペラハウスに匹敵する豪華な内装で飾られている。曲はプッチーニ「ボエーム」であった。

  本日午後の昼、アメリカメトロポリタン歌劇場の実況ビデオ、ボエームの全編を久しぶりに我が家のホームシアターで楽しんだ。日ごろは見られない幕間の舞台裏の状況など、今までの知らない場面も知った。

  貧しい芸術家が体の弱い娘と恋に陥るがその娘が病のためなくなるという、話の内容自体はどこにでもある恋物語である。しかし、オーケストラと迫力ある声量との組み合わせで人々を感動させる。娘ミミがなくなる最後のシーンは劇的に演出されており大きな画面と音量のおかげでオペラの楽しみを満喫した。

  デュッセルドルフ時代はすぐ近くにオペラハウスがあり、忙しい仕事の日々の中時間が空いたときふと見に行ったものである。気軽に見に行けることが娯楽というものと思う。日本では、寄席、映画、カラオケなどはこの部類に入ると思う。残念ながらオペラはそうは行かない。暇なときにふと気楽に行けるというものではない。

  しかし、いまではホームシアターがあり、DVDを買い集め大きな画面と迫力ある音でオペラのみならず、ミュージカル、映画も楽しんでいる。

2011年9月3日土曜日

ルノワール「コンサートにて」


      「コンサートにて」を所有する
      Sterling & Francine Clark Art Institute
      (Williamstown, Massachusetts, USA)

この8月、次女の誕生会は時間が合わず延び延びになっていた。今多摩川近くの川崎に住んでいるが夫婦で勤めていることもあり忙しい毎日のようである。ようやくお互いに時間の都合がつき婿殿も一緒に東京自由が丘で食事することになった。二人とも元気で何よりであった。

次女が生まれたとき二人の娘にふさわしい絵画はないかと捜し求めた。誰の作とも知らず購入したのが「コンサートにて」の複製画であった。晩年のルノワールが描いたふくよかな女性の絵とはあまりにも趣が異なっている。東京、ドイツ、神戸、広島、つくばと転勤ごとに我が居間を飾ってきている。この3月の大地震の時には落下し額縁が破損したが修理し今も健在である。

ドイツ時代にはその本物に出会いたいとヨーロッパ各所にある美術館を訪れ探したが出会うことはなかった。美術書を調べあげてようやくアメリカのマサチューセッツの山間の美術館にあることを突き止めた。そして、アメリカ出張の際日曜日を利用して訪問した。しかし、残念ながらちょうど改修工事中のためこの絵だけは倉庫に保管され見ることはかなわなかった。(ヨーロッパ駐在日記、ウィリアムズタウン

その1年後、今度はプライベートでアメリカ旅行し、ようやく本物に出会うことが出来た。色彩鮮やかで黒のドレスと花の赤色が映える。たたみ1畳くらいの大きさで迫力がある。とうてい複製画ではその迫力を味合うことはできない。とはいえ、この複製画は今までの娘たちの成長の過程と重なり合い、日々心を和ませてくれている。

2011年8月28日日曜日

我が畑のひまわり









     市場で売られるひまわりの実(ポーランドにて)

この夏、我が畑にはひまわりのみ植えた。種から苗を作りそれを畑に植え替え8月には立派に花が咲いた。ヨーロッパ時代ハンガリーをドライブしたとき走り続けてもどこまでもひまわり一面の畑を思い出す(ヨーロッパ駐在日記、1994年8月、グラーシュズッペ)。夏の暑いときの象徴の花である。

まもなく種が取れるが、これもポーランドをドライブしたときに大きな枯れたひまわりの実が売られていたのを思い出す(ヨーロッパ駐在日記、1996年8月、子犬のワルツ)。その種を食用にするのである。

この福島原発事故以来せっかくの自家栽培の野菜も食べる気にはならない。我が畑にはひまわりに続いてすでにコスモスの種を地下播きしたが雨が少なかったためか芽が出るか不明である。 いずれにしても家庭菜園も意味がなくなり、この秋をもって地主に畑を返すつもりである。もし西日本地域に住むことになればまた再開も考えたいと思う。

2011年8月12日金曜日

京都西山善峰寺



             遊龍の松

         善峰寺からの京都市内の眺め

この春には京都西山花の寺を訪問しているが、その近く南の西山麓にある善峰寺に赴いた。京都西地区の新しい住宅地を抜け田園風景の先、山に入り込んだところにある。子供のころ花の寺から西山のハイキングコースを歩きその終着がこの善峰寺であった。山から下ってくると有名な地に這う松、遊龍の松にたどり着き、そこからの京都南地区の風景を眺めて帰宅の途についたものである。

天然記念物である遊龍の松は健在であった。今ではこの境内は入場料を払わないと入れない。昔はハイキングの通り道なっており自由に出入りできていた。山門入り口には大きな駐車場が出来ておりこれも有料である。時代の流れだろう。

この寺は西国巡礼二十番札所の寺であり、今では車で来てお参りする人が多いのであろう。しかし、京都の他の寺院に比べて観光コースとしてはそれほど知られておらず、出会う人も数人で静かに過ごせるところである。若い女性が一人でお参りし、そのあとバス停で一人バスを待っている姿がこの清閑な場所の印象として残った。

2011年8月11日木曜日

尾道御調の茶話駄(さわだ)



茶話駄玄関

もりそば

サラダそば

  つくばに住みだしてからも茨城近辺のいろんな場所でそばを食しているが、一番は尾道御調の茶話駄(さわだ)と思う。広島は三原に在住時代からその美味しさに機会あるごとに訪れているが、今回夏休みのドライブの際に立ち寄った。

  茶話駄は尾道山間部にある町、御調町の小さな山の麓にあり、その場所からは川沿いの小さな盆地が望める。春にはその玄関前の桜が花を添える。営んでいる老夫婦が暖かく迎えてくれた。

  いつものそば三昧をいただいた。もりそば、サラダそば、仕上げはそばがきぜんざいである。手打ち十割そば自体の味わいと共にそのそばつゆが美味しい。広島豊平達磨の高橋名人と同じような味わいであるが特にそばつゆにはこくがある。冬場はにしんそばもあり暖かいそばで食べたこともある。

  ご主人に、2年前に我が畑で栽培したそばがあるが殻をどうとるか思案している間に今に至っているとの話を持ち出した。即座に、殻を取るのは専門に任せないと出来ないとの回答。早速茨城近辺の専門業者を教えてくれた。コンタクしそば粉に仕上げそば作りを再度トライしたいと考えている。

2011年7月17日日曜日

大涌谷からの富士



          (駒ケ岳からの富士)


     (カステルモーラからのエトナ山/イタリアシシリー島)

富士教育研修所から16kmで芦ノ湖湖尻についた。まずは船で芦ノ湖を遊覧、途中船を下りて駒ケ岳に登った。ロープウエーで7分ほど。頂上からの景色は真下に芦ノ湖、右遠くに駿河湾、左に湘南が見渡せる。そして富士山も雄大な姿を見ることが出来た。

その後大涌谷に向かった。途中道は大渋滞であった。箱根は中学の修学旅行、東京に住みだしてからも何度も訪れているが、大涌谷は修学旅行以来であった。昔と変わりなく硫黄の臭いで覆われていたが異なるのは中国を初め外国からの訪問者が多いことではないかと思う。

ここからの富士山も雄大であった。イタリアシシリー島のカステルモーラからのエトナ山と同じような光景であった(ヨーロッパ駐在日記、1997年1月、エトナ火山)。しかし、エトナ山よりやはり富士はその美しさに魅了される。

2011年7月16日土曜日

富士教育研修所



       (富士教育研修所からの富士)

久しぶりに富士の麓、裾野にある富士教育研修所に泊まることになった。この研修所は勤めていた会社の研修所であるが、一般にも開放しいろんな研修に使用されてきた。さらには最近は研修のみならず一般の宿泊施設としても利用されている。

会社での色々な研修、他の教育団体による研修、学会のシンポジウムなど何回となく寝泊りした経験がある。海外からの人たちも宿泊できるよう当初から各部屋にある湯船、ベッドは大きく最初はその大きさに驚いたものである。

ここから見る富士山は迫力がある。真前に迫ってくる。敷地内にはグランド、テニスコート、ミニゴルフ場もあり休憩時間にはスポーツも楽しめるようになっている。

すでに建てられてから40年以上経っており、今までも補修してきた形跡は見られるが、近くで見ると昔の美しさはない。しかし、少し離れれば建物の立派さは今も健在である。

久しぶりに箱根に行くことにしたがホテルがとれず、ここで泊まれることを思い出し予約した。泊り客は他に2組あったが館内は静かでゆっくりと過ごすことができた。明日は箱根をドライブする。

2011年6月28日火曜日

白アスパラガス






今年も白アスパラガスを楽しんだ。北海道のニセコベジ(http://www.nisekoveggie.com/)に注文していたもの。昨日我が家に届き昨日今日と二度に渡って夕食をいろどった。ドイツ時代の唯一の美味である白シュパーゲル(アスパラガス)をこの日本でも味わえる。

ニセコベジは羊蹄山の麓でこのアスパラガスを栽培し、朝とりのアスパッラガスを宅配便で翌日には届ける。ドイツ時代は近くで朝とれたものをその日に食べていたが、今日本では遠く離れていてもあくる日には食せるという便利な世の中になった。このニセコベジはドイツ時代知り合いになったある商社の奥様が郷里の北海道に戻りこの仕事をしていることから知ったもの。毎年この時期の楽しみになっている。

我が畑にも緑のアスパラガスは今年も出来ているが、白アスパラガスを栽培するのは難しい。土の中で成長させるための手入れが大変である。我が緑アスパラガスは福島原発事故のため残念ながら食べる気にはならない。北海道はその影響も少なくこれからもこの季節の楽しみとしたい。

2011年5月5日木曜日

黒部ダム



     (扇沢から黒部ダムへ向かうトロリーバス)

        (黒部ダムからの立山連峰)

  昨年の5月連休には富山から立山室堂を訪れ銀世界を体験している。(http://tsukubanite.blogspot.com/2010_05_01_archive.html)今年は安曇野に来たので大町側から黒部ダムに行くことにした。

  大町から立山方向に車で入り、扇沢駐車場に車を置いて、関電のトローリーバスで黒部ダムに着いた。昨年の富山側からの登山バス待ち時間は3時間であったが、扇沢からの待ち時間は30分ほどで済んだ。しかし、トロリーバスは超満員であった。

  ダムからは立山連峰が望め絶景であった。絶景を楽しめ、またこのダムのおかげで関西の電力はかなりの部分がまかなわれているが、工事中の犠牲者も多かったという。原発といい犠牲者が出ることが便利な世の中を支える条件なのか、犠牲者なしの社会発展の方策はないのかつくづく考えてしまう。

  帰りは松本に立ち寄り松本城、街中を見て回り中央道でつくばに戻った。予想されていたことであるが途中大渋滞に出くわしつくばに着いたのは夜中1時過ぎであった。1600kmの京都、神戸、長野のドライブ旅行となった。

2011年5月1日日曜日

穂高養生園



           (雪の北アルプス)

            (野生ざるの親子)

  京都の後、神戸に宿泊し帰りは安曇野・穂高で過ごした。その宿は穂高養生園というマクロビ料理の宿泊施設である。夕方到着し早速マクロビ料理の夕食をいただいた。玄米食の精進料理で美味しく満足するものであった。

  今朝は8時からヨガの時間が設けられているが、私は山の散歩に出かけた。穂高川に沿って往復2時間歩き宿に戻ったが、渓谷の緑、川の音、雪に覆われた北アルプスも望め、また野生ざる親子との出会いなど、自然を満喫した時間であった。

  その後10時半からようやく朝食の時間となった。この宿は数日滞在する人が多く、朝食の後もそれぞれ本を読んだり、瞑想したり、ヨガをしたり、散歩に出かけたり、源泉かけ流しの温泉につかるなど自由な時間を過ごしている。日ごろの忙しい生活から離れて英気を得る場として使われているようである。

2011年4月30日土曜日

京都西山花の寺(勝持寺)



            (花の寺山門)


            (花の寺境内)

  このお彼岸には震災直後で京都へのお墓参りに行けなかったが、この5月連休を利用して京都に向かった。お墓参りの後、久しぶりに京都西山の花の寺を訪れた。京都は山々に囲まれた盆地であるため小さいときから回りの山々にハイキングに出かけた思い出がある。北山、東山は観光地としてもたくさんの人々が訪れるが、西山はあまり観光化されておらず知る人とぞ知る京都的な閑静な場所である。

  40数年ぶりの訪問であったが、その間に京都西地区も宅地造成が進み大きな住宅地が広がっていた。しかし西山の麓にある花の寺周辺は新しい建築物もなく昔のままの面影を残していた。花の寺の台地からは京都伏見の町並みが望め絶景であり、昔と変わりなかった。

  桜の季節には寺の境内はピンク色の桜で覆われるが、すでに5月、境内は葉桜の緑一面の姿となっていた。花の寺は正式には勝持寺という。昔は何もなかったところであるが、料理屋、カフェなど3店が近くに出来ていた。ハイキングから帰ってくる人々と時々出会うが、それ以外は人とほとんど出会うことはない。観光化された京都で唯一残る本当の京都を味わえる場所である。

  終の棲家としてつくばでの生活を開始して3年、福島原発の影響が気になる所であるが、また京都に住むかとさえ思う今日このごろである。京都ならこの西山付近に住むのがよさそうと思うが、敦賀というもっと近いところにも原発があり日本のどこに行っても状況は同じである。沖縄か、原発撤廃政策のドイツにでも行かないと平穏な生活は出来ないようである。