2009年5月5日火曜日

三春の滝桜(葉桜)

日本三大桜とは岐阜県の根尾谷淡墨桜、山梨県の山高神代桜、そして三春の滝桜をさす。八戸からの帰り道の途中、郡山で高速道路をおり三大桜で有名な三春の滝桜を見ることにした。この4月福島花見山を訪れたとき三春の滝桜は三分咲きとの情報を得ていたが時間がなく立ち寄ることが出来なかった。

連休のUターンラッシュで福島トンネル付近の渋滞はあったが停止することはなく午後3時ころには三春に着いた。すでに花は散り緑美しい葉桜に変貌していたが、その幹の太さには圧倒される。直径は2m以上か。1000年以上に渡って生き続けているという。その幹からのエネルギーは人間にも伝わるというが真実のように感じられた。次回はぜひとも花満開の時に来たいと思う。

磐越道から常磐道に入り、その後は渋滞もなくつくば自宅には夜7時ころに着いた。大きなトラブルもなく今回の東北ドライブ旅行を終えた。総走行距離1843kmであった。弘前で買ったりんごは旅行中食べきれずお土産として残った。

2009年5月4日月曜日

本州最北端大間崎


大間崎の表示

大間崎と弁天島

本州最南端は潮岬、最西端は山口県の毘沙の鼻、最東端は岩手県魹ケ崎(とどケさき)、そして最北端は大間崎である。下関の北に位置する毘沙の鼻は広島に住んでいるころドライブしているが、今回ようやく最北端の大間崎に来ることができた。

対岸には函館山が見えるとのことであるが本日は天気が良いがもやがかかり見ることは出来なかった。みやげ物や食堂など観光客目当ての店があり多くの人で賑わっていた。もちろん有名なマグロも食べられたがまだ朝早く昼食には早いためあきらめることにし、海産物をお土産に買うにとどめた。

そのあと陸奥湾側海岸沿いにドライブし、途中仏が浦の奇岩の群れを見て下北半島の東側から八戸に向かった。山間の道にはまたまた水芭蕉の群生が見られ楽しませてくれた。六ヶ所村には広大な平原に立ち入り禁止のまた広大な敷地があり、これが原子力関係の施設であることが分かった。付近の道、公共設備などが立派で、原子力設備の代償としての助成金が豊富に使われていることもよく分かった。

夕方には八戸に着き、夕食は創作料理店「うおんさい」でとった。湯葉料理、古代米料理など特徴があるが特に古代米バッテラは鯖の何ともいえないうま味があり非常に美味しいものであった。

2009年5月3日日曜日

水芭蕉の花


広島北部にも水芭蕉の群生するところがあり訪れたことがあるが、恐山から下風呂温泉に向かう途中の山中で水芭蕉の花が満開のところを通りかかった。思わず車を止めて写真に撮った。

水芭蕉といえば尾瀬が有名であるが、尾瀬が特に名をはせているのは歌の影響が大きい。中田喜直の「夏の思い出」である。この澄んだ歌声は水芭蕉の花の清楚な美しさを想像させ、より魅力的な花の印象を与えることになったのだろう。

ある程度の高地と沼地があれば日本のどこでも水芭蕉は育つようである。ヨーロッパにいるころスイスの山々をドライブしたときにはエーデルワイスの花が見られたが、同じようにこの水芭蕉もその土地に育つ花として毎年人々を楽しませてくれているものと思う。

山道を降りる手前に薬研渓流があり道をそれて渓流を上った。渓流といえば奥入瀬渓流をサイクリングしたことがあるが、ちょうどその小型版との感じであった。渓流の上流には薬研温泉があり露天風呂で楽しむ人も見られた。足湯もあり足を温めながら休憩をとった。

足湯の後、山を下り下風呂温泉に入った。ここは井上靖が小説「海峡」を書くために宿泊したところでその宿泊した有名な旅館がある。しかし、あいにく満室で泊まれずとなりのホテルに泊まることになった。

恐山

日本三大霊場といえば比叡山、高野山、そして恐山である。京都で生まれ育っているので比叡山延暦寺は身近な存在であった。また高野山も何回か訪れ木々が茂る奥深い森林の中の独特の荘重な雰囲気で気持ちが引き締まるのを経験している。恐山はその名前どおり何か恐ろしい場所ではないかと思いつつドライブ、山を越えまもなく湖が見えその湖畔にある駐車場に着いた。

この数日前まではこの山越えが出来ず通行止めだったそうだ。いっせいに参拝者が押し寄せたようで駐車場はいっぱいであった。車のナンバーを見ると東京、大阪など遠くからの人々が多い。1000円という高速道路の特別料金が大きな理由であろう。

湖の回りの山々には木々があるが、比叡山、高野山の様相とは全く異なり、盆地にある境内には樹木はほとんどなく硫黄の噴出する荒地の中にお寺の伽藍がある。夜はさぞかし不気味な雰囲気であろうと思う。霊魂が集まると言われる所以が分かる。

昨日青森で夕食をした豆腐料理店「豆のや」が作ってくれたお弁当を駐車場の車の中で食べ今夜の泊まるところ下風呂温泉に向かった。

2009年5月2日土曜日

弘前城からの岩木山


小岩井農場の桜を見た後東北道を北上し弘前に入った。弘前城近くの駐車場はどこも満員であったがお堀近くの公営駐車場に運よく車を止めることが出来た。

毎年この五月連休時に桜が満開になるとのことで有名な弘前城であるが今年は少し早く咲き始め今日はすでに満開を過ぎていた。しかし枝垂れ桜などまだ満開の桜も結構多く桜のトンネルを歩いた。

ここからは岩木山が目の前に広がり、その銀色の山を写真におさめることが出来た。出店もたくさん出ており、これからのドライブ、土産にたくさんのりんごを買い求めた。大きなりんごでなかなか美味しい。この連休中のドライブのおやつに楽しみにして食べたいが、お土産として残るか疑問ではある。

夕方には青森市に入り、棟方志功記念館を見て回った。若い頃一度来ているのであるが、そのときは閉館しており中には入れず入り口で写真をとったに過ぎなかった。有名なサンパウロ・ベニス・ビエンナーレ賞をとった「釈迦十大弟子」の版画を初めて見ることが出来た。その前に立つと何か迫ってくるものを感じた。志功のエネルギーが伝わってくるようであった。

小岩井農場一本桜と岩手山

昨年の10月に八幡平、小岩井農場をドライブしたがあいにく天候が悪く岩手山も全貌を見ることが出来なかった。それから半年、ようやく春になり桜も見られるとの期待からこの五月連休に再度訪れた。

昨日は花巻に入り宮沢賢治のゆかりの地を訪れた。記念館は北上川を望める木々の茂る丘の上にあり賢治の足跡を示すいろいろなものが展示されていた。もともと農学を修めた科学者であるが、文学にも、またチェロを弾いたように音楽にも、絵画にも、天文学にも、地質学にも多彩な能力を発揮した人である。これだけの実績を残しているからにはそれなりの長い人生であったのかと思っていたが、36歳という若さで一生を終えていることを今回初めて知った。何事にも真剣に取り組み人生を全速力でかけめっぐった偉大な人物と驚嘆した。

そして今日は天気もよく山々がはっきりと見える。まだ雪で覆われた銀色の岩手山を背景に小岩井農場の一本桜を見ることができた。銀色の山、それに映える桜の色と地面の緑の配色が誠に美しい光景であった。その前は大変な人出で、バスもピストン運転で観光客を運んでいた。宮沢賢治もこの岩手山をふるさとの山として愛していたという。日本には各所に山がありその山々の恩恵を受けて生きていける。岩手山の恩恵をうけてこれからも脈々と生活が続いて行くのであろう。