2014年1月8日水曜日

ノイス・ホンブロイッヒランゲン美術館

美術館全景
美術館への道
美術館入口
玄関
ランゲン財団の表示
日本室
廊下
展示室
スロープのある展示室
スロープのある展示室
庭への階段
何故か犬が !

  デュッセルドルフの隣町、ノイスは文化活動に熱心な町である。中心部にある美術館には浮世絵が多数保存され時に応じて展示会を実施している。

  このノイスの市街から離れた広大な平原にランゲン美術館がある。有名な安藤忠雄設計の建物である。いままでも安藤忠雄さんについてはいろいろな記録を書き残している。本日その美術館を訪れた。

  内部構造は表参道ヒルズの内部に使用されているようなスロープが配置されており、コンクリートの打ちっぱなしとガラス、金属による構成は安藤建築そのものであった。ランゲン氏は日本にも大変興味をもっていたとのことで、日本の収集品のために日本室もある。今回は特別に現代の作品を展示していた。このほか、モンドリアンなどの近代の作品を展示していた。

  2年前、アメリカ・マサセッチュ州の美術館を訪れた時増設工事中で、その設計は安藤忠雄と説明があった。もうすでに完成してることと思う。また機会があればぜひ行ってみたいと思う。(http://tsukubanite.blogspot.jp/2011_12_01_archive.html#8760764850198347777

2014年1月5日日曜日

ドン・ジョバンニ

オペラが終わって

  モーツアルトといえば、映画「アマデウス」で今まで描いていたモーツアルトのイメージがまったく変わってしまった。簡素な響きが心に気持ち良く、それまではこのような音楽を作り出す人はさぞかしもの静かで思慮深い紳士と思っていた。

  実際には、特に色恋が好きな人であったようだ。ドン・ジョバンニのオペラもそのようなひととなりから作られたものと納得がいく。スペインのドン・ファンの話で、いろいろな女性をもてあそぶが、最後は罰で地獄に落とされるという話である。

  モーツアルトの音楽はバックグラウンドミュージックとして最適といつも利用させてもらっている。このオペラでも音楽はモーツアルトらしく穏やかな曲が続き心地よく聞いていられる。ドン・ジョバンニが地獄に落とされる場面は劇的に音が奏でられるが、最後の場面も流れるような音が続き幕となる。

  今回のドイツ滞在でのオペラはこれが最後である。またの機会を楽しみにしたい。

2014年1月4日土曜日

モルダウ川

 
モルダウ川とクルムロフ城
ライトアップされたクルムロフ城
クルムロフ城から
モルダウ川と旧市街
モルダウ川の鴨のつがい
クルムロフ城の塔
クルムロフ城の橋
旧市街
泊まったホテル(モルダウ川 に沿って建つ)
昔のホテル廃墟
田舎の建物
ボヘミア平原
アウトバーン3号線の大渋滞

   モルダウといえばチェコの作曲家スメタナの「わが祖国」の有名な曲の一つである。駐在時代最初にチェコを訪れたのは1993年8月、家族旅行でのことであった。車でドレスデンからチェコに入ったが、当時はビザが必要であった。国境でビザはすぐにとれ、ボヘミヤ平原をドライブ。そのバック音楽にはカセットテープの「わが祖国」をかけていた。ボヘミヤの自然をそのまま表現しており、視覚とのマッチングがすばらしくスメタナの凄さを感じた。

  その後も首都プラハのみならず、ピルスビール発祥の地プルゼニ、メンデルが遺伝の法則を発見した修道院のあるブルーノ、それにチェコの繊維産業の地リベッレック、タボールなどチェコでの工場建設調査のためほとんど全土を車で駆け抜けている。ほぼ20年ぶりに車でチェコに赴いたが、すでに国境はなく自由に出入りができる。駐在当時はまだそれほど有名ではなかったチェスキー・クルムロフを訪問した。

  古い街並みがどこをとらえても絵になる町である。町の大きさに比べてお城が大きく、特に夜ライトアップされたお城は幻想的である。旧市街を取り囲むように流れているのがモルダウ川である。パッサウに近いドイツ国境近くを源流として、このクルムロフを通り、プラハに至り、ドイツではエルベ川としてドレスデンに流れる。その源流の一滴から、ボヘミヤ平原を流れるさまを音楽にしたのがスメタナである。チェコの母なる川ということである。

  20年前に比べて道、建物も美しくなっており歳月を感じた。車についてはチェコにはシェコダという自動車メーカーがあり、20数年前は角ばった古臭い車を生産していたが、今ではフォルクスワーゲンの資本が入りデザインを一新している。ところどころでは旧来のホテルが廃墟になっており、古い田舎の建物など昔の名残りも見られた。
   
  初日はデュッセルドルフからの移動、2日目は晴天に恵まれ市街をゆっくりと散策、そして本日クルムロフからドイツパッサウに近い国境を越え、アウトバーン3号線で戻った。

  3号線はドイツ北西部オランダとの国境からウィーンを結ぶドイツの大動脈である。ウィーン方面からの車で、フランクフルトまでは大渋滞。3時間もよけいにかかった。今まで、事故、工事による渋滞には何度も遭遇しているが、これほどの自然渋滞は初めてであった。年末年始休暇のUターンのようである。往復1600kmのドライブであったが、今借りている車では210kmが最大速度であった。