2014年6月29日日曜日

ブリュール

アウグストゥスブルク城正面

アウグストゥスブルク城全景


建物上部




城見学入口

 

庭園


アルトシュタット(旧市街)


  ケルンの南15kmにブリュールという小さな町がある。世界的に有名になったのは、1984年にその中心部にあるアウグストゥスブルク城が世界遺産に登録されたためである。今まで行く機会がなかったが、今回初めて訪れた。
 
  デュッセルドルフから車で1時間、お城近くの地上駐車場に車を置いた。本日は日曜日。駐車は無料である。駐車場はちょうどアルトシュタットにかかる場所にあり、そこから歩いてお城には横から入ることになった。
 
  お城はロココ様式の代表的なもので1700年代に建てられたという。王様ではなくケルン司祭が鷹狩用に建てさせたとのこと。ちょうど日本人の団体客が来ており、入場券を買うと団体客の説明を受けるようにとの指示があり、団体客と一緒に回った。偶然にもその案内人はデュッセルに住む駐在時代からの知り合いの方であった。
 
  東西統一までの西ドイツの首都はボンであり、ボンから近いこともあり当時は大統領の迎賓館として使用されていたという。中央階段の天井はイタリア人によるフレスコ画で飾られ、レセプションなどの豪華な部屋が保存されている。
 
  城の建物は敷地のほんの一部でその前には大きな庭園が広がっていた。見学の後、アルトシュタットを散歩し帰路に着いた。

2014年6月27日金曜日

蝶々夫人


開幕時の掃除風景


ピンカートン役(左、Alexey Sayapin)


蝶々夫人役(Sandra Janusaite)


蝶々夫人とピンカートンの出会い


夜を共にする


ピンカートンがアメリカへ帰国後、

蝶々夫人(中央)は子供と過ごす 

(子供をあやすのは女中のすずき)


アリア「ある晴れた日に」(右、蝶々夫人)

  高校生の時、初めて見たオペラが蝶々夫人であった。京都会館第一ホールで二期会の出演であった。そして2回目が20年ほど前、エッセンのオペラハウスであった。本日久しぶりにこのエッセンオペラハウスで蝶々夫人を鑑賞した。

  20年前、舞台は日本の雰囲気で出演者の服装も着物、日本髪であった。ただ当時気になったのが着物で正しい着付けにはなっていなかった。今回どのような演出がなされるか興味があった。

  劇場内に入ると舞台には白い防護服を着た人々が洋式の部屋を掃除している。何事かと思いつつ、そのままオペラは始まった。本来は日本の障子・畳のある部屋で女中さんたちが調度などを整理整頓するところから始まる。どうも福島原発事故の除染作業をもじっているようである。これからも日本では除染作業が永久的に続くことを示唆しているようである。

  主人公の蝶々夫人はりトアニア出身の  Sandra Janusaite  というソプラノであった (YOUTUBEで見られる。 https://www.youtube.com/watch?v=9J2o4kGnh3k )。またピンカートン役はロシア出身のテノール Alexey Sayapin であった (YOUTUBE、https://www.youtube.com/watch?v=nYp9ibaefRI)。

  舞台は現代の構成になっておりDVDテレビも置いてある部屋での演技である。蝶々夫人だけは着物を着ているが、他の出演者はジーンズにミニもある洋装である。部屋といい、服装といい、本来のプチーニの描いた蝶々夫人の世界とはかけ離れた演出であった。

  違和感を覚えつつ鑑賞、話は終盤、待ちに待ったピンカートンが再度来日するが、アメリカ人の奥さんが同伴しており落胆し自ら死を選ぶ。音楽自体はプチーニそのものであり音楽としては十分楽しめた。

  先日のカルメンもスペインの話がドイツの話に変えられていた。異様さを感じながら鑑賞した。その曲の持つ時代の背景、土地の風俗などが無視されており残念な演出である。とは言いながら、一流の出演者の生の音を十分に楽しませてもらった。

2014年6月26日木曜日

ビオグルメットクラブ

ビオグルメットクラブ(ケルン)

レストラン内


野菜スープ


料理


料理教室


近くの公園

  ケルンの中心部に菜食レストランがあるということで訪れた。ビオグルメットクラブといい、お料理教室とレストランを運営している。予約が必要ということで朝電話で昼食の予約を入れた。
 
  そのレストランはケルン聖堂に近いアルトシュタットにあった。この中心部にも大きな公園があり、予約時間まで時間があったので芝生でくつろいだ。
 
  13時にレストランに入った。お店自体はお料理教室が出来るようになっており、部屋の一部に机といすを使ってレストランとしている。満席であった。料理は取り分けて自分で好きなだけとるようになっている。

  日によってメニューが違うが、本日は野菜スープ、生野菜サラダ、ボイルニンジンキャベツ、キューリ入り豆乳ヨーグトソース、大豆たんぱくの焼き物、ボイルポテト、そしてデザートは杏子入りカシスポンチであった。やはりドイツではジャガイモがどっと出てくる。
 
  パンフを確認すると先週は日本の巻きずしを提供したとのこと。菜食について日々研究実践しているレストランであった。

2014年6月25日水曜日

カルメン

エッセンオペラハウス


公園の倒木


オペラハウス内


オーケストラボックス


カルメン役 (Ieva Prudnikovaite )


演奏が終わって(出演者、指揮者)


  エッセンオペラハウスでカルメンを見に行った。駐在時代にはオーストリアブレゲンツ湖上オペラで鑑賞している。エッセンオペラハスは市の中心部にあるが公園の中にあり静かな環境である。先日の突風で公園の木が倒れ無残な姿になっている。建物は曲線を生かした独特の構造物でオペラハウスとしては珍しい形状である。

  ハウス内は若い人から、年長者まで、満員であった。カルメンはあまりにも有名なオペラであるが、今回の想定はスペインではなくエッセンの町での話になっていた。兵隊はポリスになっておりあまり違和感がないが、闘牛士はそのまま闘牛士として演じておりドイツの話にするにはちょっと強引な演出と感じられた。また、飲み屋で騒いでいるところをビデオ撮影している人物も舞台に出て現代風にアレンジされていた。聞くところによると従来の想定で演じても面白みがないということで、新しい試みをしているという。

  音楽としては従来の曲のままである。主役のカルメン役は Ieva Prudnikovaite  (YOUTUBEで見ることが出来る。https://www.youtube.com/watch?v=n7hU4I-2B74)というカルメン役にはぴったりの風貌の声量豊かなメゾソプラノであった。ただ想定は本来のスペインで演じてもらいたかったと思う。蝶々夫人は日本、ツーランドットは中国を舞台にするのがその曲の特徴を生かせる。少々残念であったが、生の声、生のオーケストラの音は素晴らしく楽しむことが出来た。

2014年6月20日金曜日

ロミオとジュリエット


ベローナ中心広場

中心広場塔

中心広場建物

ジュリエットの家

ジュリエットの家入口

入口壁の落書き

バルコニー

ジュリエット像

門扉

門扉の鍵

円形劇場

ガルダ湖

ガルダ湖

  ロミオとジュリエットといえばオリビアハッセーの映画を思い出す。清純な少女として特に印象が強く残っている。その後一時日本の歌手と結婚し特に親しみを感じていた。シェイクスピアはこの悲劇を書くに当たってその現場といわれるイタリアはベローナを訪れたことはないと言われている。

  ベローナを有名にしているのがこのロミオとジュリエットと円形劇場でのオペラである。昔ドライブしたときにこのベローナにも立ち寄っているが、時間がなく円形劇場の外観を見ただけであった。今回再度ゆっくりと見てまわることにした。

  中心広場には土産物店が並びたくさんの観光客でにぎわっていた。その広場の南に入ったところにジュリエッタの家がある。入口の壁は落書きで埋め尽くされ、庭に入ると有名なバルコニー、ジュリエッタ像、そして門扉にはたくさんの鍵が飾られている。落書き、鍵は恋の成就を願っているものと思う。また円形劇場は現在補修工事しつつ、7月からのオペラの準備もなされていた。

  この後近くの湖、ガルダ湖をドライブした。湖沿いに別荘、ホテル、キャンピングカーキャンプ場などが整備されている。本日は気温が30℃を超え人々は泳いだり日光浴をして時間を過ごしていた。

2014年6月18日水曜日

ベリチェリ

中心広場

スパゲッティフルーティディマーレ

スパゲッティアリオオリオ

ドウモ

中心街

旧イタリア工場入口とのこぎり屋根工場跡

新しいカンバン

事務所跡(左)

染色工場跡

水田(リゾット)

水田(リゾット)

  20年ほど前、ヨーロッパ駐在時代の仕事上の大きなプロジェクトにヨーロッパ工場建設があった。ヨーロッパのどこに建設するか大きな課題であったが最終的には繊維産業の活発なイタリアに決め推進した。その工場建設の場所がベリチェリであった。

  しかし、完成後繊維産業のみならず製造業はこの20年で大きく動いた。世界に羽ばたいた日本製品が韓国、台湾、中国にとって代わって行ったのである。イタリア工場もその影響を受けて事業は続かず、結局撤退との結末となった。その後のことが気になり訪れることにした。

  プロジェクトに携わっているときは毎日が忙しくゆっくりとベリチェリの町を見て回ることはなかったが、今回は町の中心でゆっくりと昼食をとって過ごした。イタリア本場のスパゲッティを久しぶりに食べた。中心部には教会広場、ドウモなどイタリアならではの街並みが見られる。

  昼食後さらに車を走らせて旧工場の地に着いた。ベリチェリはイタリアリゾットの産地でもあり、その工場の回りには水田が広がっている。日本のように田植えではなく、直播のようである。緑の稲が一面に広がっていた。看板がイタリア語でなければ日本と間違えてしまう。

  ウォータージェットなどの織物工場であるのこぎり屋根の工場と平屋の染色工場の跡はそのまま残っていた。現在はイタリアの金属加工会社のカンバンが掲げられており、業種としては変わってしまっている。

  その昔、新合繊として日本で製造された合成繊維織物が世界でもてはやされ、ビジネスとして隆盛を極めていた。このため現地生産をめざしイタリアに工場を建設するに至った。残念ながらこの隆盛も長くは続かず、他の技術分野と同じように日本の技術が簡単に発展途上国に移り、価格競争の点で一般的なビジネスは難しくなってしまった。

  一方同じようにヨーロッパに合成繊維織物工場を建設したもう1社は今もイギリス、チェコ工場で生産した商品でビジネスを続けている。その差は、価格競争ではなく、たとえばイギリスのマーク&スペンサーとのコラボレーションにより新しいニーズに合ったものつくりを共同で進めて新しい市場を開拓していることではないかと思う。このような関係は日本でもユニクロとのコラボで成功し、今ではこの会社は繊維事業が一番利益が出るという。

  会社経営のやり方によりこれほど大きな差が出るのには驚かされる。結局は繊維事業を化学会社としての意識で経営するか、繊維テキスタイル会社として経営するかの違いではないかと考えている。もう一社はもちろん化学会社としても世界でも有数の会社であるが繊維事業に関しては真の繊維テキスタイルの専門家が経営してるということではないかと思う。

2014年6月14日土曜日

ドイツの犬

クリオ(茶色のスピッツ)

クリオ(茶色のスピッツ)

クリオ(茶色のスピッツ)

クリオ(茶色のスピッツ)

クリオ(茶色のスピッツ)

夕食

  昨日、ドイツ人ご夫妻をアパートに招いた。事前にクリオ(スピッツ)も連れて行ってよいかとの問い合わせがあり、一緒にどうぞと伝えた。犬用の敷物と水飲み皿を持参して来られた。

  部屋に入りジッツ(Sitz)と声をかけると座っておとなしく過ごす。持参の敷物にも座るが、部屋の絨毯が気にいったのかそのあとはずっと絨毯の上で過ごしていた。

  いつも感心するのはドイツの犬はよくしつけされており、食事中はおとなしく座ってじっとしている。吠えることは全くない。飼う前にきっちりとしつけすることが義務付されているからである。それ故レストランでも犬は入ることが出来る。

  食事は最初は生ハム、鮭とホワイトアスパラ、ノンアルコールビールで乾杯、そして大豆たんぱくのシュニッツェル(カツ)、野菜サラダ、玉ねぎ梅酢漬け、大根とヒジキのサラダ、きゅうりの塩麹漬け、そしてごはんに納豆、味噌汁、デザートは穀物コーヒー寒天と番茶で締めくくった。納豆が食べられるか気になったが、完食であった。日本食にかなり興味があるようであった。

  4時間ほどの食事であったがクリオは2度主人にしぐさを示して散歩に出かけた。おそらく用を足すためと思う。それ以外は絨毯の上でじっと座って、たまには寝たりして過ごしていた。