2013年12月31日火曜日

ジルベスタ コンツェルト (大晦日コンサート)

ヨハネス教会
教会内
2階席とパイプオルガン
新年の花火(オーバーカッセル橋から旧市街を見る)
ゼクトで新年を祝う(オーバーカッセル橋)
 
  今年も最後の日となった。午後のひととき、YOUチューブで第九を聴いた。1979年カラヤン、ベルリンフィルが日本に来たときの実況録音である。アナログ録音なのか、今のデジタルの鮮明な音と異なる。毎年恒例の日フィルの生の音ではないが、今年も年末に何とか第九を聴くことが出来た。

  年末の最後の楽しみは教会での ジルベスタ コンツェルト。夕方からデュッセルドルフの市街中心にあるヨハネス教会へ出かけた。曲はオルフ作曲のカルミナブラーナ。もともと中世期のラテン語による詩集に1937年に曲をつけたもの。独唱、コーラス、管楽器、打楽器、ピアノからなる。特に管楽器、打楽器の響きが教会内をとどろかせた。残念ながらパイプオルガンの音は聴くことはできなかった。

  聴きながら今年を振り返った。

  リタイア後に依頼された仕事も終了し、時間が自由に使えることになった。結婚後40年でもあり、記念に春にはドイツへ出かけた。夏場は30年を過ぎた東京の自宅マンションのレノビールを自ら Do It Yourself でやり、新しい装いになった。あとは台所のやり替えを業者に頼むだけになっている。晩秋からは再度ドイツの生活を楽しんでいる。

  ドイツで日本のことを一時的に忘れることが出来るが、災害、原発事故、財政赤字、気になることばかりである。これからの世の中、その時代の権威者から発信される情報はますますあてにならないことが明確になってきた。物事の判断には、それぞれの個人がインターネットなどいろいろな方法を駆使して、全世界の的確な情報を自ら広く集めることが必須の時代になっている。今年はその思いを募らせた年でもあった。

  コンサートが終わり家で休憩の後、ライン川にかかるオーバーカッセル橋に向かった。橋にはたくさんの人が集まっており、すでに爆竹がなっている。そして、0時には花火が一斉にあげられた。ゼクト(発泡白ワイン、ドイツのシャンパン)、ビールなどを飲みながら新年を祝っていた。

2013年12月28日土曜日

トスカ

ラインオペラハウス
オペラハウス内
開演前のひととき
オーケストラ席
舞台(上部に字幕)
ドイツ語訳の字幕
 
  本日は久しぶりにオペラ鑑賞である。自宅のホームシアターで見ることはあっても、生のオペラは本当に15年ぶりではないかと思う。(http://tsukubanite.blogspot.jp/2011_10_01_archive.html#3306754316193421074) デュッセルドルフラインオペラハウスで楽しんだ。

  演目はプッチーニの「トスカ」である。有名な曲であるため、なじみのアリアが歌われこころよい響きを感じる。話の内容はトスカをめぐる醜い争いで策略により恋敵に彼は銃殺され、トスカはその恋敵を刺殺し自身も自殺するという、悲恋物語のひとつである。

  いつものことながら話の内容はそれほど感動的なものではないけれど、音楽の力で人の心をひきつける。特にプッチーニのアリアは陶酔させる力を持っている。「ツーランドット」の「誰も寝てはならぬ」もまさにその表現が当てはまる。今回もトスカ役のソプラノ、ファダヨミ(エジプト出身)が歌う「歌に生き、愛に生きる」、また恋人カヴァラドッシ役のテノール、アガフォノフ(ロシア出身)が歌う「星は光りぬ」など、生で聴く歌声はCD、YOUチューブなどで聴くよりはるかに感動を与える。
  
  オペラハウスには若い人から老人まで幅広い層の観客で満員であった。そのほとんどがカップルで来ている。たまたま隣にすわったおじいさんは一人で鑑賞していたが。

  イタリア語に対してそのドイツ語訳が上部に字幕として映し出されるので、話の内容は分かる。トスカが自殺するところで幕となるが、その後のカーテンコールによりオペラの余韻を楽む。3時間の公演であったが、帰り家までは車でわずか10分。こんな近くで本格的なオペラを気楽に楽しめるのが、ヨーロッパというものであろう。

  来年早々にもう一回オペラを見る予定である。次回はモーツアルトの「ドンジョバンニ」である。楽しみにしている。

2013年12月26日木曜日

フェストリッヘス コンツェルト (祝祭コンサート)

トーンハーレ内

指揮者 ランプレヒト
男声合唱
女性合唱
ソプラノソリスト ブロッカ  と 指揮者 

   ヨーロッパではこの25日、26日はクリスマス休暇である。本日そのクリスマスを祝うコンサート、フェストリッヘス コンツェルトを聴きにまたトーンハーレに赴いた。

  本日はオーケストラ、合唱、ソプラノソリストの構成で、讃美歌、バッハ、モーツアルト、チャイコフスキーなどのクリスマス関連の曲ばかりの演奏であった。指揮はランプレヒトで、20年前第九を歌ったときの指揮者である。以前に比べて白髪になっている。最後はドイツ国歌を観衆も含めて歌い盛り上がり、アンコールは「きよしこの夜」で締めくくった。

  なじみのある曲ばかりでつい歌いそうになる。最近、会社時代の同僚からクワルテットを組まないかとの申し出があった。うまく、トップテナー、セカンドテナー、バリトン、バスと4人が集まることになった。一度第九を歌っているが、学生時代以来の活動である。体力は若いときのようにはいかないが、年相応のマイペースでやってみたいと思っている。
  
  町を歩くと、バイナハトマルクトはすべて閉められ後はブース撤去作業を待つ状態となっている。マルクトへの人出はなくなったが、近くの公園には散歩している人が結構多い。今年のクリスマスは天気はあいかわらずぐずついているが、気温は10℃前後と温かく過ごしやすい気候であった。

2013年12月23日月曜日

蕎麦の円(えん)

円外観
円内部
凱旋門
シャンゼリゼ通り
コンコルド広場近く イルミネーション
コンコルド広場近く イルミネーション
フォンテーヌブロー城
フォンテーヌブローの森
バルビゾン
バルビゾン近くの田園風景
バルビゾン村
シャンゼリゼ通り(コンコルド広場に向かって)
コンコルド広場の観覧車
コンコルド広場近くのクリスマスマーケット
PAULのお店
 
  蕎麦打ちの高橋名人の手打ち蕎麦は広島の山里にあるお店、達磨などで何度か味わっている。以前、その高橋名人のもとで修業したという人がパリでお店をしていると聞いていた。お店は円という。ヨーロッパ駐在時代にはなかったお店である。昨日から車でパリへ来ているので昼食をとることにした。(http://tsukubanite.blogspot.de/2011_08_01_archive.html#5413164310993370296

  駐在時代にも車でよくパリに来ているが、当時はオペラ座南にある有名なラーメン屋にいつも通っていた。お昼にパリに着いてまずはラーメン昼食。その後遊んで、夕方また訪れ食事し、餃子をテイクアウト、デュッセルドルフに戻る途中の夜食にした。日本の本当のラーメンが食べられる店であった。

  昨日パリに入ったが、昔と同じようにパリ市内は車の洪水。コンコルド広場からシャンゼリゼ通りを凱旋門に向かったが、我先に進まないと取り残される。また歩行者が信号を守らないことも多く細心の注意が必要である。

  イルミネーションを写真におさめた。ブルーを主体としたLEDのイルミネーションで豪華というよりすっきりした感じで、20年前の電球の方が温かみがありその違いを感じた。道は車のみならず人々でごった返していた。(http://tsukubanite.blogspot.jp/2012_12_01_archive.html#6183687500531817640

  泊まったのは60kmほど南にあるフォンテーヌブロー。ここも久しぶりである。本日朝、近くのフォンテーヌブロー城を散策、フォンテーヌブローの森を通って、バルビゾンも訪れた。ミレー、コロー、ルソーなどの芸術家が生活した村である。ミレーの描いた農村風景が近くに広がる。

  またパリに入り、12時半頃サンジェルマンデプレ教会近くの円に着いたが駐車する場所を探すのに30分を費やしようやく店に入れた。本来は予約がいるという。運よく1席空いたとのことで入ることが出来た。通りの窓から見えるように手打ちそば作業をしている。メニューには蕎麦のみならず他の食べ物もあるが、蕎麦だけを食べた。広島の達磨は本当に蕎麦のみの店であり、蕎麦を味あうには盛りそばが一番である。腰のあるそばでおいしかった。

  食事の後、シャンゼリゼ通りの地下駐車場に車を置き、散策。とにかくクリスマスということで渋谷並みの混み具合である。有名店では入場待ちも見られた。途中、日本にもあるPAULのパン屋を見つけそのカフェで休憩した。バケットパンを購入し持ち帰ることにした。夕方5時ころ凱旋門を出て、今回はこのパンを夕食、夜食にし、約500kmを5時間半かけてデュッセルドルフに戻った。

2013年12月20日金曜日

トーンハーレ

トーンハーレ
トーンハーレの天井 
トーンハーレ内
演奏が終わって

   ドイツにはトーンハーレと称するコンサートホールが各地にあるが、久しぶりにデュッセルドルフのトーンハーレでオーケストラの演奏を聴いた。この時期日本では第九の演奏会がいろんなところで開催されるが、ヨーロッパではこの時期だからと言って演奏されることはほとんどない。

  第九といえばこのトーンハーレで2回、合唱団の一員として参加している。その時の様子は「ヨーロッパ駐在日記」1993年9月 に書き残している。毎年、年末には日フィルの第九を聴きに行っているが今年は諦めた。今年はYOUチューブで第九を楽しむことにする。(http://tsukubanite.blogspot.jp/2012_12_01_archive.html#6183687500531817640http://tsukubanite.blogspot.fr/2010_12_01_archive.html#2228127435096163493http://tsukubanite.blogspot.fr/2009_12_01_archive.html#2211460012625323063http://tsukubanite.blogspot.fr/2008_12_01_archive.html#5691893434617541052

  デュッセルドルフのトーンハーレは舞台の背後にも客席があり全体が円形のホールである。東京のサントリーホールに似ている。本日はチャイコフスキーの交響曲第5番である。夜20時からの開演であった。正装している人が多く、夕食を取った後演奏を聴くスタイルである。やはり生の音楽はCDで聴く音楽を超え、気分爽快であった。

  クリスマス、年末、新年にかけてこのホールのみならず、教会、オペラハウスなどいろいろな催しがありさらに楽しみである。

2013年12月18日水曜日

ハイデルベルグ


バイナハトマルクトと城
アルトシュタット バイナハトマルクト
ネッカー川

    娘さんが仕事の関係でハイデルベルグに住んでおられる方から、今ハイデルベルグに来ているとのことで、ぜひハイデルベルグで会いたいとの連絡があり、車でハイデルベルグを日帰りした。

  ハイデルベルグは仕事に、プライベートに何度も来ているが、久しぶりの訪問であった。またハイデルブルグは駐在時代、一番最初に日本からの出張者を案内したところでもあり特に記憶に残っている。フランクフルトに着いた後、まずはハイデルブルグを案内、その後ウイーン経由、スロバキア ブラスチラバ、コシチェへ赴いた。

   当時東欧が開かれた直後でもあり、飛行機はボロボロ、宿泊したホテルも水道の水は茶色、お店は棚にポツン、ポツンと商品が置いてあるだけでものが不足し混乱の時期であった。ナイロン技術輸出の関係での工場訪問であったが、町の暖房はその工場が受け持っており、すべての家庭にスチームが供給されていた。朝の通勤ラッシュは4時から5時。仕事は14時で終わる。その後の時間はゆったりと過ごす。など旧社会主義国の一面を知った。

  娘さんはドイツ企業の日本で勤務しているが転勤で本社のあるハイデルベルグにきて1年半が過ぎたという。お子様二人を育てながらのお仕事である。孫の世話をするために来ているという。昼食をごちそうになり、アルトシュタット(旧市街)を見て回った。ここでもバイナハトマルクトにはたくさんの人が楽しんでいた。

  ここはさらに日本人も含めた観光客も多い。お城からのハイデルベルグの全景を楽しみ、またネッカー川を川沿いに散策したりして過ごした。夕方5時過ぎに帰路に着いた。

2013年12月15日日曜日

クリスマスパーティー

モンツァ・ドウモ
パーティー会場(ミケランジェロさん事務所)
パーティー1
パーティー2
パーティー3
前菜
味噌入りスープ
タロイモと玉ねぎ
セイタン
デザート(パネトーネ)
フライブルグ バイナハトマルクト

  この夏つくばに来ていただいたミケランジェロさんからクリスマスパーティーのご招待を受けた。(http://tsukubanite.blogspot.de/2013_08_01_archive.html#2142739862760244966) このため、11日に車でイタリアはモンツァに出かけた。朝8時半デュッセルドルフを出て、何回かの休憩を取りながらスイス経由イタリアモンツァに着いたのは19時半であった。約900kmのドライブであった。

  モンツァはF1レースでも有名であるが、泊まったモンツァのホテルは古典的な造り、重厚な調度品のホテルで、F1レースの時には有名人も泊まるようでF1関連の写真でいっぱいであった。駐在時代のセナの記憶を思い出させた。(ヨーロッパ駐在日記、1994年5月「アイルトン・セナ」

  翌日はモンツァの町を散策した。春にも訪れているが、ミラノに宿泊したのでほとんど町の見学はしていなかった。イタリアの町の特徴である中心部にあるドウモはやはり立派なものであった。そのまわりの石畳の広場にはマーケットが出ており、たくさんの人でにぎわっていた。ドイツのバイナハトマルクトと異なりクリスマス商品というよりもほとんど日常品のマーケットであった。

  夜8時半からパーティーは始まった。70人くらいの人が集まっている。まずはノンアルコールの食前飲み物、前菜、味噌入りスープ、ラビオリ・ラザニア、セイタン・タロイモサラダ、パネトーネ、食後飲み物のフルコースであった。すべて動物性食材を使わず、砂糖も使用していない。ほんとうに植物性だけの食材でこれだけの味が出せるのかと感心する。たいへんおいしくいただいた。

  この夏つくばにきていただいた息子さんのアンドレアさん、歯医者のジョバンニさんにもお会いした。アンドレアさんは上智大学留学を決めたという。来年9月には日本に来るということでまた再会できることを楽しみにしている。パーティーが終わったのは12時過ぎであった。一部日本的な味噌入りスープもあったが、本場イタリア料理を堪能させていただいた。

  帰りはフライブルグにも一泊し、さらにケルンにも再度立ち寄った。やはりバイナハトマルクトはたくさんの人々でにぎわっていた。クリスマスの雰囲気はさらに盛りあがってきている。

2013年12月10日火曜日

バイナハトマルクト (クリスマスマーケット)

バルトブルグ城(改修中) 
ノイシュバンシュタイン城
ノイシュバンシュタイン城真下のホテル 
ノイシュバンシュタイン城からの冬景色
ミュンヘンバイナハトマルクト
ニュルンベルグバイナハトマルクト 
ローテンブルグ市庁舎広場
ケルン大聖堂
ケルンバイナハトマルクト
ケルン大聖堂前
デュッセルドルフバイナハトマルクト

  30数年来、長年家族ぐるみの付き合いのあった奥様が急逝された。今も付き合いが続いている4家族は同じ東京のマンションに住み始め、年齢も近く、子供も同年代で特に親しくしている。今ではそのマンションを離れて別々の場所での生活であるが、特に奥様どうしでは毎週のように出会っている。ドイツに出向く1か月ほど前の出来事であった。

  すでに11月からドイツに滞在することを伝えていたので、ぜひともドイツ滞在中に遊びに来てほしいと願っていた。20年ほど前のドイツ駐在時代は、みなさん子育てに忙しいときでもあり結局ドイツ訪問はかなわかった。妻も含めた仲良し4人の奥様方にドイツを案内する計画でいたが、1人は写真での同行となった。

  ヨーロッパはクリスマスシーズン。二人の奥様のうち一人はクリスチャンである。ご希望をきくとルターで有名なバルトブルグ城に行きたいという。またもう一人はノイシュバンシュタイン城に行きたいという。レンターカーを借りているので車で案内することにした。

  デュッセルドルフでゆっくりと過ごす日々とともに、1日は日帰りでバルトブルグ城のあるアイゼナハへ出向いた。(「バルトブルグ城」については「ヨーロッパ駐在日記」1995年6月に記載している。)アイゼナッハはバッハが生まれた町としても知られている。その博物館にも立ち寄った。お土産にブランデンブルグ協奏曲CD2枚を購入し、車で運転しながら聴いて楽しんだ。

  ノイシュバンシュタイン城ではそのお城の真下のホテルに1泊、雪景色の美しい光景を楽しんだ。駐在員時代は出張者を何度も案内しているが、銀世界の中のお城を見るのは初めてであった。その後、ミュンヘンのバイナハトマルクトをみて、ニュルンベルグに宿泊。その夜も有名なマルクトを見て回わったが、とくにクリスチャンの奥様は興味深く、教会人形などお土産にしていた。帰りはローテンブルグにも立ち寄りデュッセルドルフに戻った。

  デュッセルドルフ、ケルンのバイナハトマルクトも見て回り、また教会での合唱、演奏会も楽しみ10日間の滞在をクリスマス一色で過ごすことになった。できれば4人の奥様方が全員そろえばよかったのであるが、かなわずまことに残念である。ご冥福をお祈りしたいと思う。