2011年11月5日土曜日

粟又ノ滝(養老ノ滝)



             万代ノ滝

             養老渓谷

            ライステラスカフェ

自然との調和を図る田舎暮らしで有名な中島デコさんが経営するライステラスカフェには今までも何度となく訪れているが、今日は紅葉の粟又ノ滝を見に行くため立ち寄った。つくばから圏央道を通り、あと在来道路で成田市内経由いすみ市岬町に着いた。ライステラスカフェで昼食をとり、その後近くの粟又ノ滝(養老の滝)に向かった。

茨城県にある袋田の滝(http://tsukubanite.blogspot.com/2010_01_01_archive.html#8338650564178561607)に比べて、粟又ノ滝は高さは大変低いが幅は同じような規模の滝であり、その養老渓谷沿いには万代の滝のような小さい滝もある。養老川のせせらぎを聞きながらの散策は気持ちがよい。紅葉にはまだ早かったが、それでもたくさんの人々が散策を楽しいんでいた。

帰りは袖ヶ浦から高速道路に入り、千葉市経由成田まで走り在来道路を通り、また圏央道でつくばに戻った。行き帰りとも3時間のドライブであった。

2011年11月3日木曜日

国分寺殿ヶ谷戸庭園



           次郎弁天の池

            紅葉亭

            湧き水

本日午前中新横浜での用件が終わり、その後まだ紅葉には早いが殿ヶ谷戸庭園に行くことにした。昼近くであったので新横浜から立川に立ち寄り、イタリアンレストランで昼食をとった。最近本格的なイタリアンを食べる機会がなく、久しぶりの本物のスパゲッティで美味しかった。

国分寺駅前に殿ヶ谷戸庭園は位置するが専用駐車場はなく、近くの有料駐車場に車を置いて散策した。次郎弁天の池から見上げると紅葉亭がある。この紅葉亭から池を見下ろすと一部紅葉が見られた。おそらく今月下旬には池の回りのもみじが真っ赤な姿に変貌するものと思う。

この庭園の名前は、昔この地が国分寺殿ヶ谷戸といわれていたことから由来する。国分寺崖線から湧き出る清水により池が出来ている。池にはたくさんの鯉が生息している。萩のトンネル、藤棚、カタクリ、寒椿など季節の花も見られるという。時期的に早く紅葉を満喫することは出来なかったが、都会にありながらその喧騒から離れてゆっくりと時間を過ごせるところであった。

2011年10月22日土曜日

向島百花園と清澄庭園

           向島百花園入り口

                萩

               吾亦紅

            清澄庭園入り口

              清澄庭園

つくばは朝から雨模様であったが午後には東京の天候が回復することを期待して東京の庭園を散歩することにした。期待していた通り、東京自宅に着くころには雨も止みまずは向島百花園に向かった。

向島百花園は今まで明治通りをドライブしているときによく通りかかる場所であるが、いつも立ち寄ったことはなかった。専用の駐車場がなかったが近くの一般の有料駐車場におくことが出来た。

園内には、萩、吾亦紅、アザミなどの花が咲いていた。有名な萩のトンネルの花はすでに終わっていた。約1時間の散歩を楽しみ、その後さらに清澄公園に向かった。大きな公園に隣接して清澄庭園がある。典型的な日本庭園で、池にはかも、鷺の鳥も見られ、日本の自然をそのまま小さくした姿である。

まもなく紅葉の季節であるが、日光などに遠出することなく都立の庭園・公園でも満喫出来る。すでに浜離宮、旧岩崎邸庭園、旧古河庭園、六義園、小石川後楽園は訪れ楽しんでいる。まだ訪問していない国分寺の殿ケ谷戸庭園も紅葉がきれいと聞いており、最盛期には訪れたいと思っている。

2011年10月1日土曜日

プッチーニの「ボエーム」

ホームシアター
ブタペストオペラハウス

  ヨーロッパ駐在時代の楽しみの一つがオペラであった(ヨーロッパ駐在日記、1993年4月 イースター休み1995年6月 バルトブルグ城1995年10月 ヴェッツラール1996年12月 ヘンゼルとグレーテル1997年2月 神々の黄昏 )。住んでいたデュッセルドルフのオペラハウスのみならず、ウィーン、ミュンヘン、エッセン、クサンテンのローマ遺跡劇場、ブレゲンツ湖上劇場など各所を訪れオペラを楽しんだ。

  さらには、ハンガリーをドライブしたときブタペストオペラハウスの当日券を購入し見ることが出来た(1994年8月、グラーシュズッペ)。ブタペストオペラハウスはパリのオペラハウスに匹敵する豪華な内装で飾られている。曲はプッチーニ「ボエーム」であった。

  本日午後の昼、アメリカメトロポリタン歌劇場の実況ビデオ、ボエームの全編を久しぶりに我が家のホームシアターで楽しんだ。日ごろは見られない幕間の舞台裏の状況など、今までの知らない場面も知った。

  貧しい芸術家が体の弱い娘と恋に陥るがその娘が病のためなくなるという、話の内容自体はどこにでもある恋物語である。しかし、オーケストラと迫力ある声量との組み合わせで人々を感動させる。娘ミミがなくなる最後のシーンは劇的に演出されており大きな画面と音量のおかげでオペラの楽しみを満喫した。

  デュッセルドルフ時代はすぐ近くにオペラハウスがあり、忙しい仕事の日々の中時間が空いたときふと見に行ったものである。気軽に見に行けることが娯楽というものと思う。日本では、寄席、映画、カラオケなどはこの部類に入ると思う。残念ながらオペラはそうは行かない。暇なときにふと気楽に行けるというものではない。

  しかし、いまではホームシアターがあり、DVDを買い集め大きな画面と迫力ある音でオペラのみならず、ミュージカル、映画も楽しんでいる。

2011年9月3日土曜日

ルノワール「コンサートにて」


      「コンサートにて」を所有する
      Sterling & Francine Clark Art Institute
      (Williamstown, Massachusetts, USA)

この8月、次女の誕生会は時間が合わず延び延びになっていた。今多摩川近くの川崎に住んでいるが夫婦で勤めていることもあり忙しい毎日のようである。ようやくお互いに時間の都合がつき婿殿も一緒に東京自由が丘で食事することになった。二人とも元気で何よりであった。

次女が生まれたとき二人の娘にふさわしい絵画はないかと捜し求めた。誰の作とも知らず購入したのが「コンサートにて」の複製画であった。晩年のルノワールが描いたふくよかな女性の絵とはあまりにも趣が異なっている。東京、ドイツ、神戸、広島、つくばと転勤ごとに我が居間を飾ってきている。この3月の大地震の時には落下し額縁が破損したが修理し今も健在である。

ドイツ時代にはその本物に出会いたいとヨーロッパ各所にある美術館を訪れ探したが出会うことはなかった。美術書を調べあげてようやくアメリカのマサチューセッツの山間の美術館にあることを突き止めた。そして、アメリカ出張の際日曜日を利用して訪問した。しかし、残念ながらちょうど改修工事中のためこの絵だけは倉庫に保管され見ることはかなわなかった。(ヨーロッパ駐在日記、ウィリアムズタウン

その1年後、今度はプライベートでアメリカ旅行し、ようやく本物に出会うことが出来た。色彩鮮やかで黒のドレスと花の赤色が映える。たたみ1畳くらいの大きさで迫力がある。とうてい複製画ではその迫力を味合うことはできない。とはいえ、この複製画は今までの娘たちの成長の過程と重なり合い、日々心を和ませてくれている。

2011年8月28日日曜日

我が畑のひまわり









     市場で売られるひまわりの実(ポーランドにて)

この夏、我が畑にはひまわりのみ植えた。種から苗を作りそれを畑に植え替え8月には立派に花が咲いた。ヨーロッパ時代ハンガリーをドライブしたとき走り続けてもどこまでもひまわり一面の畑を思い出す(ヨーロッパ駐在日記、1994年8月、グラーシュズッペ)。夏の暑いときの象徴の花である。

まもなく種が取れるが、これもポーランドをドライブしたときに大きな枯れたひまわりの実が売られていたのを思い出す(ヨーロッパ駐在日記、1996年8月、子犬のワルツ)。その種を食用にするのである。

この福島原発事故以来せっかくの自家栽培の野菜も食べる気にはならない。我が畑にはひまわりに続いてすでにコスモスの種を地下播きしたが雨が少なかったためか芽が出るか不明である。 いずれにしても家庭菜園も意味がなくなり、この秋をもって地主に畑を返すつもりである。もし西日本地域に住むことになればまた再開も考えたいと思う。

2011年8月12日金曜日

京都西山善峰寺



             遊龍の松

         善峰寺からの京都市内の眺め

この春には京都西山花の寺を訪問しているが、その近く南の西山麓にある善峰寺に赴いた。京都西地区の新しい住宅地を抜け田園風景の先、山に入り込んだところにある。子供のころ花の寺から西山のハイキングコースを歩きその終着がこの善峰寺であった。山から下ってくると有名な地に這う松、遊龍の松にたどり着き、そこからの京都南地区の風景を眺めて帰宅の途についたものである。

天然記念物である遊龍の松は健在であった。今ではこの境内は入場料を払わないと入れない。昔はハイキングの通り道なっており自由に出入りできていた。山門入り口には大きな駐車場が出来ておりこれも有料である。時代の流れだろう。

この寺は西国巡礼二十番札所の寺であり、今では車で来てお参りする人が多いのであろう。しかし、京都の他の寺院に比べて観光コースとしてはそれほど知られておらず、出会う人も数人で静かに過ごせるところである。若い女性が一人でお参りし、そのあとバス停で一人バスを待っている姿がこの清閑な場所の印象として残った。