2011年7月17日日曜日

大涌谷からの富士



          (駒ケ岳からの富士)


     (カステルモーラからのエトナ山/イタリアシシリー島)

富士教育研修所から16kmで芦ノ湖湖尻についた。まずは船で芦ノ湖を遊覧、途中船を下りて駒ケ岳に登った。ロープウエーで7分ほど。頂上からの景色は真下に芦ノ湖、右遠くに駿河湾、左に湘南が見渡せる。そして富士山も雄大な姿を見ることが出来た。

その後大涌谷に向かった。途中道は大渋滞であった。箱根は中学の修学旅行、東京に住みだしてからも何度も訪れているが、大涌谷は修学旅行以来であった。昔と変わりなく硫黄の臭いで覆われていたが異なるのは中国を初め外国からの訪問者が多いことではないかと思う。

ここからの富士山も雄大であった。イタリアシシリー島のカステルモーラからのエトナ山と同じような光景であった(ヨーロッパ駐在日記、1997年1月、エトナ火山)。しかし、エトナ山よりやはり富士はその美しさに魅了される。

2011年7月16日土曜日

富士教育研修所



       (富士教育研修所からの富士)

久しぶりに富士の麓、裾野にある富士教育研修所に泊まることになった。この研修所は勤めていた会社の研修所であるが、一般にも開放しいろんな研修に使用されてきた。さらには最近は研修のみならず一般の宿泊施設としても利用されている。

会社での色々な研修、他の教育団体による研修、学会のシンポジウムなど何回となく寝泊りした経験がある。海外からの人たちも宿泊できるよう当初から各部屋にある湯船、ベッドは大きく最初はその大きさに驚いたものである。

ここから見る富士山は迫力がある。真前に迫ってくる。敷地内にはグランド、テニスコート、ミニゴルフ場もあり休憩時間にはスポーツも楽しめるようになっている。

すでに建てられてから40年以上経っており、今までも補修してきた形跡は見られるが、近くで見ると昔の美しさはない。しかし、少し離れれば建物の立派さは今も健在である。

久しぶりに箱根に行くことにしたがホテルがとれず、ここで泊まれることを思い出し予約した。泊り客は他に2組あったが館内は静かでゆっくりと過ごすことができた。明日は箱根をドライブする。

2011年6月28日火曜日

白アスパラガス






今年も白アスパラガスを楽しんだ。北海道のニセコベジ(http://www.nisekoveggie.com/)に注文していたもの。昨日我が家に届き昨日今日と二度に渡って夕食をいろどった。ドイツ時代の唯一の美味である白シュパーゲル(アスパラガス)をこの日本でも味わえる。

ニセコベジは羊蹄山の麓でこのアスパラガスを栽培し、朝とりのアスパッラガスを宅配便で翌日には届ける。ドイツ時代は近くで朝とれたものをその日に食べていたが、今日本では遠く離れていてもあくる日には食せるという便利な世の中になった。このニセコベジはドイツ時代知り合いになったある商社の奥様が郷里の北海道に戻りこの仕事をしていることから知ったもの。毎年この時期の楽しみになっている。

我が畑にも緑のアスパラガスは今年も出来ているが、白アスパラガスを栽培するのは難しい。土の中で成長させるための手入れが大変である。我が緑アスパラガスは福島原発事故のため残念ながら食べる気にはならない。北海道はその影響も少なくこれからもこの季節の楽しみとしたい。

2011年5月5日木曜日

黒部ダム



     (扇沢から黒部ダムへ向かうトロリーバス)

        (黒部ダムからの立山連峰)

  昨年の5月連休には富山から立山室堂を訪れ銀世界を体験している。(http://tsukubanite.blogspot.com/2010_05_01_archive.html)今年は安曇野に来たので大町側から黒部ダムに行くことにした。

  大町から立山方向に車で入り、扇沢駐車場に車を置いて、関電のトローリーバスで黒部ダムに着いた。昨年の富山側からの登山バス待ち時間は3時間であったが、扇沢からの待ち時間は30分ほどで済んだ。しかし、トロリーバスは超満員であった。

  ダムからは立山連峰が望め絶景であった。絶景を楽しめ、またこのダムのおかげで関西の電力はかなりの部分がまかなわれているが、工事中の犠牲者も多かったという。原発といい犠牲者が出ることが便利な世の中を支える条件なのか、犠牲者なしの社会発展の方策はないのかつくづく考えてしまう。

  帰りは松本に立ち寄り松本城、街中を見て回り中央道でつくばに戻った。予想されていたことであるが途中大渋滞に出くわしつくばに着いたのは夜中1時過ぎであった。1600kmの京都、神戸、長野のドライブ旅行となった。

2011年5月1日日曜日

穂高養生園



           (雪の北アルプス)

            (野生ざるの親子)

  京都の後、神戸に宿泊し帰りは安曇野・穂高で過ごした。その宿は穂高養生園というマクロビ料理の宿泊施設である。夕方到着し早速マクロビ料理の夕食をいただいた。玄米食の精進料理で美味しく満足するものであった。

  今朝は8時からヨガの時間が設けられているが、私は山の散歩に出かけた。穂高川に沿って往復2時間歩き宿に戻ったが、渓谷の緑、川の音、雪に覆われた北アルプスも望め、また野生ざる親子との出会いなど、自然を満喫した時間であった。

  その後10時半からようやく朝食の時間となった。この宿は数日滞在する人が多く、朝食の後もそれぞれ本を読んだり、瞑想したり、ヨガをしたり、散歩に出かけたり、源泉かけ流しの温泉につかるなど自由な時間を過ごしている。日ごろの忙しい生活から離れて英気を得る場として使われているようである。

2011年4月30日土曜日

京都西山花の寺(勝持寺)



            (花の寺山門)


            (花の寺境内)

  このお彼岸には震災直後で京都へのお墓参りに行けなかったが、この5月連休を利用して京都に向かった。お墓参りの後、久しぶりに京都西山の花の寺を訪れた。京都は山々に囲まれた盆地であるため小さいときから回りの山々にハイキングに出かけた思い出がある。北山、東山は観光地としてもたくさんの人々が訪れるが、西山はあまり観光化されておらず知る人とぞ知る京都的な閑静な場所である。

  40数年ぶりの訪問であったが、その間に京都西地区も宅地造成が進み大きな住宅地が広がっていた。しかし西山の麓にある花の寺周辺は新しい建築物もなく昔のままの面影を残していた。花の寺の台地からは京都伏見の町並みが望め絶景であり、昔と変わりなかった。

  桜の季節には寺の境内はピンク色の桜で覆われるが、すでに5月、境内は葉桜の緑一面の姿となっていた。花の寺は正式には勝持寺という。昔は何もなかったところであるが、料理屋、カフェなど3店が近くに出来ていた。ハイキングから帰ってくる人々と時々出会うが、それ以外は人とほとんど出会うことはない。観光化された京都で唯一残る本当の京都を味わえる場所である。

  終の棲家としてつくばでの生活を開始して3年、福島原発の影響が気になる所であるが、また京都に住むかとさえ思う今日このごろである。京都ならこの西山付近に住むのがよさそうと思うが、敦賀というもっと近いところにも原発があり日本のどこに行っても状況は同じである。沖縄か、原発撤廃政策のドイツにでも行かないと平穏な生活は出来ないようである。

2011年3月22日火曜日

ワンダーランドカルカール

(ドイツプルトニウム高速増殖炉跡)

ドイツ/デュッセルドルフから北東100kmくらいのところにカルカールという町がある。ここはドイツで初めて作られたプルトニウム高速増殖炉原子力発電所があった場所である(ヨーロッパ駐在日記、1996年5月、カルカール)。しかしチェルノブイリ原発の事故の後、ドイツの原子力発電に関する政策変更により完成したが稼動することなく廃止され、今は娯楽施設ワンダーランドカルカールとして賑わっている。
あってはならない原発事故が今起こり、福島周辺は通常とははるかに高い放射線に覆われ住民は避難している。福島近辺はこれからは10年、20年、30年と放射線の影響を受け、人は云う及ばず、農産物、畜産品、海産物、土、水、海などすべてのものに影響を与えていくことになる。
公に報道される日々の情報はいつも”直ちに健康に影響を与えるレベルではない”との連呼であるが、その手法は戦後の長い保守政権の中で築かれたジワジワとしか情報を公にしない手法そのもののように感じる。思い出すのは、学生時代聞いたフォーク歌手高田渡の歌である。
<値上げ>
値上げはぜんぜん考えぬ / 年内、値上げは考えぬ/当分、値上げはありえない / 極力、値上げはおさえたい / 今のところ、値上げはみおくりたい / すぐに値上げを認めない / 値上げがある、としても今ではない / なるべく値上げはしたくない / 値上げをせざるを得ないという声もあるが 値上げするかどうかは検討中である / 値上げもさけられないかもしれないがまだまだ時期が早すぎる / 値上げの時期は考えたい / 値上げを認めたわけではない / すぐに値上げはしたくない / 値上げには消極的であるが 年内、値上げもやむを得ぬ / 近く、値上げもやむを得ぬ / 値上げもやむを得ぬ / 値上げにふみきろう
福島では中性子が観測されている。この報道も当初はあったが今では公にされない。すでに前代未聞の人体実験が始まったと云っていい。これから、10年、20年、30年、それ以上たってその結果が判明するものと思う。
一方、ドイツカルカールの人々はこのワンダーランドで楽しみながら自然豊かな田園風景の中で生活を享受していることと思う。対照的な現状である。