2014年9月15日月曜日

魹ケ崎(とどがさき)

本州最東端の碑(魹ケ崎)

魹ケ崎灯台

灯台と碑

「喜びも悲しみも幾歳月」のプレート

岬の崖

太平洋(魹ケ崎)

姉吉キャンプ場駐車場

岬へ向かう山道入口

津波の記録


岬に向かう山道


山道からの海岸




山道からの海岸

本州最南端(和歌山潮岬)

本州最西端(山口毘沙の鼻灯台)

 

  本州最北端は青森大間崎(http://tsukubanite.blogspot.jp/2009_05_01_archive.html#2373392234899912090)、 最南端は和歌山潮岬、最西端は山口毘沙の鼻、いずれも今までにすでに訪れている。そして、本州最東端は岩手県魹ケ崎(とどがさき)。ようやく本日訪れることになった。

  宮古から車で約1時間、山道を走り岬の入口である姉吉キャンプ場に着いた。キャンプ場といっても広場があるだけでその面影はみられない。ここも津波の被害を受けており、すべて流されたのだろう。広場に車を駐車し、岬まで約4kmをゆっくり歩くことにした。

  車にはいつもLEKIを積んでおりそれを助けにまずは急な坂道を登った。30分ほどで登り道もなくなりなだらかな山道が続く。林の木々の間には美しい海岸が見える。久しぶりのハイキングである。約1時間半で灯台のある岬に着いた。

  ちょうどお昼であったので岬の見晴台でお結びを食べた。前には広大な太平洋が広がる。この灯台は映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台。子供のころよく聞いた、若山彰が歌った「おいらみさきのとうだいもり・・・」を思い出す。岬にはその記念のプレートが記されている。この灯台は今も無人で活躍している。帰りは約1時間で駐車場に戻ることができた。久しぶりにいい運動ができた。

2014年9月14日日曜日

遠野

JR遠野駅


遠野物語の館


柳田国男像


千葉家の曲り家


千葉家の曲り家

千葉家からの風景


千葉家の曲り家 

  三陸海岸のドライブ途中、釜石から海岸を離れて花巻の方角へ向かった。一時間ほどで遠野に着いた。駅前に車をおいて、駅近くの遠野物語の館を訪れた。

  柳田国男で有名な遠野物語。伝承による昔物語をよみがえらせた。日本の各地に伝えられている昔話が多くあるが、この地に住む方々の話を書物にしたのである。昔話としてはそのままであるにもかからわず文学的にもすばらしく、昔話の普遍性を世に知らしめたという。

  釜石に戻る前に、遠野駅から8km位のところにある昔ながらの茅葺屋根の旧家の建物を見学した。千葉家の曲り家という。厩戸と母屋がL字型に作られていることから曲り家と呼ばれている。周りは静かな緑の風景が広がり東北の田舎の雰囲気を満喫できた。
  

2014年8月12日火曜日

黄檗山萬福寺

萬福寺

萬福寺

三門

境内


蓮の花
  子供のころは京都伏見の中心街大手筋近くに住んでいた。夏休みには桃山の自然の中で昆虫採集に熱中していた。セミ、トンボ、蝶などを採取して標本を造り、夏休みの宿題にしていた。この桃山を越えると六地蔵地区になる。昔は宇治電鉄の古くさい一両の車体の電車が走っており、駅の周りは一面タンボであった。今では住宅街と商店街になっておりタンボはなくなってしまっている。ここから宇治に向かうところに黄檗山萬福寺がある。

  宇治の友達を訪問する途中、この黄檗山萬福寺に立ち寄った。六地蔵から宇治に向かう道路は完全に住宅、商店などで埋め尽くされ昔ののどかな田園風景は見られない。ただ萬福寺近辺は昔と変わらず宿坊が並び静かな落ち着いた雰囲気を残していた。

  禅寺として有名であるが、隠元和尚が中国から渡来し江戸幕府の援助もあり建立できた寺院という。その建物は中国様式で日本の禅寺とは違いを見せている。門を入ると池がありハスの花が迎えてくれる。三門から入り境内を散策した。ここは何といっても有名なのは精進料理である。今回は友人を訪問するため時間もなく、また次回の楽しみとして宇治に向かった。

2014年7月13日日曜日

サッカーワールドカップ

車のドイツ国旗

アルトシュタットに掲げられる国旗

街角のドイツ国旗




ドイツ応援

 

車のドイツ国旗


家にかけられたドイツ国旗




車のドイツ国旗


滞在しているアパートのドイツ国旗

我が家の応援グッズ


近くのレストランテレビ中継


0-0 試合経過表示(市街電車電停)


応援する人々(アルトシュタット)

  とうとうドイツが優勝した。この一か月、ドイツはサッカーワールドカップで盛り上がった。結局決勝戦はアルゼンチンとの戦いとなった。最後延長でゴールが決まり決着がついた。

  デュッセルドルフでも応援のためのグッズは至るとこで購入でき、車、家などいろんな場所にドイツ国旗、グッズを掲げている。試合が始まるとレストランでは大きなテレビを前にたくさんの人がビールなどを飲みながらの観戦であった。

  1点のゴールが決まった時には近くのレストランから歓声が上がり、間もなく終了後も歓声が続いていた。夜中にもかからわず、車はクラクションをならし走っている。しばらくは優勝の興奮が続くようである。

  今回の大会では日本が一勝もできず決勝トーナメントに進めなかった。ある選手は優勝と息巻いていたが結局は実力通りの結果といえる。日本の世界ランクは現在46位。世界的な客観的見方をすれば優勝どころか予選リーグも突破できない実力である。ヨーロッパと中南米がランク上位を占めており、アジアのレベルが低いこともランクのみならず今回の結果を見てもわかる。

  事前の報道ではほんとうの実力の世界ランクを理解したうえでの論調はほとんどなく、また優勝とホラを吹く選手をいさめることもなく、国民の興味をそそることだけを考えたような報道がほとんどであった。今の公の報道はいつも国内標準だけで報道しており、世界には通じないことが多い。

  スポーツの世界ではあまり気にすることもないかもしれないが、政治・経済・社会の世界も同じようである。日本標準での報道がますます多くなり、日本での理解が世界の非常識になっているようで気になるところである。

2014年7月12日土曜日

キルメス(移動遊園地)


キルメス入口

オーバーカッセル橋からクニー橋を見る

 

水流乗り物


子供用乗り物


射撃遊び


お化け屋敷


回転乗り物


絶叫乗り物


観覧車と絶叫乗り物


クニー橋からオーバーカッセル橋を見る


観覧車


ジェットコースター 


空中乗り物とジェットコースター

くじ引き

くじ引き(景品は植物)

テントハウス(ビアホール)


テントハウス(ビアホール)


テントハウス(ビアホール)

ノンアルコールビール

 


渡し船(対岸はアルトシュタット)

 

渡し船からキルメスを見る

シュツェンフェスト行列

シュツェンフェスト行列

シュツェンフェスト行列

シュツェンフェスト行列


  この6月から7月はドイツでは各所でシュツェンフェスト(射撃祭、射撃競技も実施される。)が行われる。その地区の自衛団の祭りといわれる。昔住んでいたアルトニーダーカッセルの地区でも行われる。近くのライン川河川敷にはテントハウスが設けられ、ビアーハウスとなる。そしてフェストの行進があり馬にまたがった女性、男性、ブラスバンド、制服を着た人々が練り歩く。我が家の前の通りも毎年行列が通り、家から見学していた。

  このシュツェンフェストの時期にアルトシュタット対岸の河川敷に毎年あらわれるのが移動遊園キルメスである。これはフェストの一つの催しとして開催されている。今年もオーバーカッセル橋とクニー橋との約1kmの河川敷で昨日から開催されている。本日、ほぼ20年ぶりに見に出かけた。

  昔と変わりなく、ジェットコースタ、観覧車、絶叫マシンなどいろいろな遊戯設備が軽快な音楽の中で動いている。のみならずお化け屋敷、迷路、射撃遊び、くじ引きなど。さらには大きなテントハウスのビアーホールが各所に設けられ、オクトーバーフェストと同じ雰囲気である。ノンアルコールのビールを飲んだがなかなかおいしかった。昔に比べてノンアルコールビールもおいしくなっている。

  今回初めてのことは、ライン川を挟んでアルトシュタットから船の渡しが運行されていることである。キルメスを見た後この船で対岸のアルトシュタットにも立ち寄った。アルトシュタットでは夕方にはシュツェンフェストの行列が石畳を通り、見学する人で混雑していた。その間一部路面電車は運行中止であった。

  駐在時代にはキルメスは見に来るが、アルトシュタットのシュツェンフェストに行くことはなかった。その行列はアルトニーダーカッセルのフェストとは比べものにならない大がかりなものであるとことを初めて知ることとなった。