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開幕時の掃除風景
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ピンカートン役(左、Alexey Sayapin)
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蝶々夫人役(Sandra Janusaite)
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蝶々夫人とピンカートンの出会い
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夜を共にする
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ピンカートンがアメリカへ帰国後、
蝶々夫人(中央)は子供と過ごす
(子供をあやすのは女中のすずき)
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アリア「ある晴れた日に」(右、蝶々夫人)
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高校生の時、初めて見たオペラが蝶々夫人であった。京都会館第一ホールで二期会の出演であった。そして2回目が20年ほど前、
エッセンのオペラハウスであった。本日久しぶりにこのエッセンオペラハウスで蝶々夫人を鑑賞した。
20年前、舞台は日本の雰囲気で出演者の服装も着物、日本髪であった。ただ当時気になったのが着物で正しい着付けにはなっていなかった。今回どのような演出がなされるか興味があった。
劇場内に入ると舞台には白い防護服を着た人々が洋式の部屋を掃除している。何事かと思いつつ、そのままオペラは始まった。本来は日本の障子・畳のある部屋で女中さんたちが調度などを整理整頓するところから始まる。どうも福島原発事故の除染作業をもじっているようである。これからも日本では除染作業が永久的に続くことを示唆しているようである。
主人公の蝶々夫人はりトアニア出身の Sandra Janusaite というソプラノであった (YOUTUBEで見られる。
https://www.youtube.com/watch?v=9J2o4kGnh3k )。またピンカートン役はロシア出身のテノール Alexey Sayapin であった (YOUTUBE、
https://www.youtube.com/watch?v=nYp9ibaefRI)。
舞台は現代の構成になっておりDVDテレビも置いてある部屋での演技である。蝶々夫人だけは着物を着ているが、他の出演者はジーンズにミニもある洋装である。部屋といい、服装といい、本来のプチーニの描いた蝶々夫人の世界とはかけ離れた演出であった。
違和感を覚えつつ鑑賞、話は終盤、待ちに待ったピンカートンが再度来日するが、アメリカ人の奥さんが同伴しており落胆し自ら死を選ぶ。音楽自体はプチーニそのものであり音楽としては十分楽しめた。
先日のカルメンもスペインの話がドイツの話に変えられていた。異様さを感じながら鑑賞した。その曲の持つ時代の背景、土地の風俗などが無視されており残念な演出である。とは言いながら、一流の出演者の生の音を十分に楽しませてもらった。