2014年12月7日日曜日

シャンブールシー

門からのアプローチ
邸宅
 庭園
木の化石
貝の化石
 魚の化石
アフリカ、アジア工芸品
金属製人形
アクリルペインティング
飼い猫
サンジェルマン教会
合唱隊
 
サンジェルマンのイルミネーション

車の洪水(凱旋門)
シャンゼリゼ通りイルミネーション



シャンゼリゼ通り
 セーヌ川
 
セーヌ川前のホテル
 
  本日は妻の友達が住んでいるパリ郊外西25km位のところ、シャンブルーシーに出向いた。友達は日本人であるが、ご主人はフランスとドイツのハーフとのこと。すでにお子さんは家を出られ大きな邸宅で夫妻で住んでおられる。

  広大な敷地で門から玄関までのアプローチを車のままで入り、玄関前に駐車した。ご夫妻で迎えてくれた。ご主人はエンジニアということで話が通じるものがあった。いろんなものを集める趣味を持っており、家の至る所に収集物が展示されている。

  その中身は、アフリカの民族人形、東洋・東南アジアの工芸品、そして何と言っても化石がすごい。美しく装飾品として加工されていた。このほかご両親制作のアクリルペインティング、金属人形なども飾ってあり、ちょっとした博物館のようであった。

  昼食をごちそうになり、持参したパソコンで写真を見せるなどして夕方まで過ごした。ご主人は若いころ、つくばの研究施設に在籍したとのこと。この大邸宅とは比較にならない小さな我が家ではあるが、ぜひともつくば自宅にも来ていただくよう伝えた。

  昨日は、ドイツアーヘンから車でパリに入り、そのまま直接ベルサイユ宮殿に近いセーヌ川前のホテルに着いた。チェックインの後夕食をパリサンジェルマンにある蕎麦円でとるため車でまた出かけた。

  ホテルからパリの中心までは20kmくらいであるが市街地に入ったとたん大渋滞の中に入り込んだ。ナビの示すままに走ると結局凱旋門を案内している。車の洪水でわずかづつしか進まない。結局サンジェルマン近くの駐車場に着いたのは2時間後であった。

  夕食を済ませた後、サンジェルマン近くを散歩した。教会ではクリスマスマーケットにたくさんの人出であるが、教会前では合唱隊の歌声が響いていた。周りのイルミネーションは青色LEDで飾られている。

  帰りはシャンゼイリゼ通りを通ったが、イルミネーションは昨年の青色から、白が主体のLEDに代わっていた。昨年の青の方が鮮やかでいいと思うが。昔の電球の時代よりはクリアーな白の感じであった。毎年のクリスマスの行事の中で、これからは毎年イルミネーションの色を変えるのか、それとも青色が不評であったのか知りたいところである。(http://tsukubanite.blogspot.jp/2013_12_01_archive.html#991979675027191752

2014年12月5日金曜日

アーヘン

アーヘン大聖堂


マルクト


マルクト



アーヘン中央駅

マルクトのカンバン(駅前)

  アーヘンといえばカジノで有名である。駐在時代一度だけカジノの体験をしている。あっという間にコインがなくなってしまいそれで終わりにした。もう一回と欲を出すとおそらくギャンブルホリックになるのだろう。そしてクリスマスシーズンにはマルクトも訪れ、グリューワインを味わっている。

  本日は朝、車でベルリンを出て夕方にはアーヘンに着いた。アーヘン駅前のホテルに宿泊、そこから歩いてアーヘン大聖堂のマルクトを散策した。駐在時代と同じようにたくさんの人がグリューワインを楽しんでいた。

  これから10日間にわたってドライブ旅行の予定である。明日はパリに向かう。

2014年11月25日火曜日

GENDARMEN MARKT

クリスマスマルクト入口

フレンチドム



コンツェルトハウスベルリン


ドイツドム

舞台演奏

 

ユニクロの宣伝(路線バス)

  いよいよクリスマスシーズンに入った。ベルリンも各広場にクリスマスマルクトが賑わいを見せ始めた。先日レンタカーを返しに旧東ドイツ中心街ベルリンミッテに行ったとき、コンサートハウス、フレンチドム、ドイツドムで囲まれたGENDARMEN広場に立ち寄った。その時はまだクリスマスマルクトの準備中であった。

  本日再び来てみると、すでに人々で賑わっている。今までクリスマスマルクトには特に囲いはなく自由に見て回れるところばかりであったが、ここは広場を囲い入場料を1ユーロ徴収していた。それでもたくさんの人が入場し、舞台の演奏、グリューワイン、ブルストなど楽しんでいた。

  近くの通りでは路線バスが走っているが、何とユニクロの宣伝で飾られたバスにもお目にかかった。電気製品では韓国、中国の製品が幅を利かせている時代であるが、衣料分野ではHMなどとともにユニクロも知名度が上がってきているようである。

  毎年のことであるが、12月24日のイブまでクリスマスでヨーロッパは盛り上がる。今年はベルリン、ドレスデン、ライプチッヒなどのマルクトを楽しみたいと思っている。

2014年11月22日土曜日

トラバント

旧東ドイツ製 トラバント

  旧東ドイツの国民車トラバント、今では生産はしていないが本日ベルリンの目抜き通りで久しぶりにお目にかかった。東京の銀座に相当する、Kurfuerstendam からWittenbergplatz の街並みには一番のデパートKaDeWe、KARSTAT、電気店SATURN、衣料店Peek & Kloppenburg、Benetton、皮製品のPICARD、BALLY、陶器のMEISSEN、Rohsenthal など有名店がずらりと並んでいる。今年春開店したUniqloはBenettonの向かいに位置しており、大変な人盛りであった。この通りをデモンストレーションしていた。

  トラバントは現在クラシックカーの中でフォルクスワーゲンの旧ビートルに次いで人気が出ているという。そのファンクラブのデモンストレーションであった。10台くらいのトラバントが連なって駆け抜けていったが、最後の1台だけ信号で取り残され写真におさめることが出来た。東西ドイツの統合時にはこのベルリンではたくさんのトラバントが走っていた。今ではマニアだけが愛好する車となりかえって価値が上がっている。

  これからも歴史を伝える産業遺産としてドイツでは愛されることであろう。

2014年11月19日水曜日

蕎麦雑炊

蕎麦雑炊

(右雑炊、左レンズ豆、上右キヌア、上左アマランサス)




サラダ冷麺

Bitbugerノンアルコールビール

  ドイツ生活30年というベルリンに住んでいる妻の友達がアパートに来訪した。デュッセルドルフ時代に友達になりその後も交流がある。美術関係の仕事を持ちながら、食べることにも大変興味があり、いろいろ工夫をして生活しておられる。本日はその内の蕎麦雑炊を紹介してくれた。

  お昼前に台所に入り妻と一緒に料理を開始、1時間くらいで雑炊が出来た。添え物としてポテト風レンズ豆がついている。ふりかけとしてアマランサスとキヌアをかけさっそく食したが、ポンズを加えるとさらにおいしく食べられた。水炊きの後のお米の雑炊と同じような味わいである。おいしいのみならず、蕎麦、アマランサス、キヌアは、白米だけよりもすばらしい成分が含まれていると強調されていた。

  昼食の後、写真、ビデオなど見ながら過ごしているうちに16:00頃には暗くなり、あっという間に夜になった。夕食も一緒にとることになり、さっそく妻が日本から持ってきていた材料でサラダ冷麺を作った。ドイツ製ノンアルコールビールで乾杯した。蕎麦雑炊の材料はすべてドイツで購入したものであるが、冷麺は日本製。お友達は久しぶりの日本製冷麺の味をあじわった。

  

2014年11月16日日曜日

晩秋のベルリン

アパート前の大通り (Otto-Suhr-Allee)



シャルロッテンブルグ庁舎

アパート前の大通り (Otto-Suhr-Allee)

(右庁舎、突き当りがシャルロッテンブルグ宮殿)
 滞在しているアパート(最上階)

アパートベランダからの晩秋風景



ベルリンコンサートハウスとフレンチドム

(クリスマスマルクトの準備)

  この11月からベルリンに滞在している。今回はある人からの紹介でアパートを借りることになった。 ベルリンオペラ関係の方であるが、本宅とは別にベルリンでの仕事用に確保しているという。いつもは世界を駆け巡っており使わない日が多いということで貸すことにしているもの。来年の1月下旬まで滞在の予定である (http://www.villa-zsuzsa.de/galerie/opera-apartment-berlin/)。

  今までベルリンは春と夏の季節にホテルを利用して滞在してるが、今回初めて晩秋のベルリンを味わっている。アパート前の大通りすぐ近くにシャルロッテンブルグ庁舎があり、この通りの先800mには有名なシャルロッテンブルグ宮殿がある。アパートの回りの木々はすっかり落ち葉となり、また至る所の広場ではクリスマスマルクトの準備が進められている。日一日と寒さも感じる日々となっている。

  この春にもベルリンには1週間ほど滞在したが、このときはベルリン芸術大学に近いホテルに滞在した。今回はベルリンオペラに近い、歩いて10分ほどの場所でオペラハウスにはすぐに行ける。この冬のオペラシーズンも始まり、これからコンサートのみならずオペラも楽しみである。

2014年10月7日火曜日

青色LED



シャンンゼリゼ通りイルミネーション(パリ、昨年撮影)

クリスマスイルミネーション(エッセン、昨年撮影)

クリスマスマルクト(エッセン、昨年撮影)

ライン川遊覧船(デュッセルドルフ、昨年大みそか)

  今年のノーベル物理学賞は青色LEDに与えられた。自然科学関連のノーベル賞候補者は日本にはたくさんいるがその本命の一つにようやく決まった。世界的に評価されている、カーボンナノチューブ、光触媒、リチウムイオン電池、ガス吸収多孔性高分子材料、iT細胞関連など実用を拡大すべく開発が続いており、これからも受賞が期待される。

  青色LEDについては昨年クリスマスシーズンにパリはシャンゼリゼ通りを久しぶりに訪れた時、そのイルミネーションが見事な青色で飾られているのを写真におさめている。以前20年ほど前にも訪れているがそのイルミネーションは当時は電球であった。色は白に近い色で鮮やかさは今のLEDにははるかに及ばない。( http://tsukubanite.blogspot.jp/2013_12_01_archive.html#991979675027191752 )

  エジソンによる電球の発明から100年以上たつ。人類の光を作り出す技術の革命である。いつもの持論であるがこのような大発明、大発見はその仕事に没頭する絶え間ない興味がなければありえない。セレンディティピーといわれる偶然による発見も仕事に集中しているからこそ気づくのである。政治家のような詭弁も含めた見かけの論理により物事を進める姿勢とはまったく別のものである。世の中どんな人にも大発明、大発見はあり得る。今回地方の国立大学出身者が賞に輝きその証明にもなったようだ。

  今年は新年早々詐欺まがいの研究発表により日本の科学技術界を揺るがす出来事があったが、ノーベル賞の授与で本来の日本の研究者の真摯な人格を世界に発信できひと安心である。

  受賞者の一人はもともと企業での業績が評価された。その成果に対する報酬はほかの社員とほとんど変わらずわずか数万円の報奨金であったという。研究者、技術者が会社に大きな利益を生み出す業績を出しても今まではせいぜい数十万程度の報奨金で済ませていたのがほとんどである。

  若いころ出した特許が他社に売れたとき、一時金として数億円、その会社の製品1台ごとに数万円の特許使用料がわが社に入ることになった。最終的に全額いくらの価値になったかは知らないが、いただいた報奨金はわずか10万円であった。とにかくほとんどの研究者、技術者が特別な恩恵もなく普通のサラリーマンとして定年退職している。そのような背景から、退職後発展途上国からの誘いがあればその誘いに乗る人が多かった。短期でも数千万円の年収を言われれば引き受けることになったようである。身近の知り合いでもそのような人がいた。

  中国、韓国がいとも簡単に日本の技術を取り入れられたのは、これら日本の技術者からのノウハウの伝授が効いている。製造機械は日本の機械メーカーから導入することができ、また材料も日本製を買えば可能である。残るはいかに設備を動かし、製造などのノウハウを作るかであるが、自分たちで独自で作るには時間と労力、それにアイデアが必要である。しかし、技術者を引き抜くことで簡単に目的を達成できる。

  日本の発明が世界的に広まることは望ましいけれど、日本の産業が栄えることも重要である。それには技術が簡単に漏れることを防ぐため、製造技術のブラックボックッス化と研究者、技術者の処遇向上をはかることが必須であると考えている。過去の失敗を繰り返さないことを願っており、国あげての戦略作りができないかと思う。