2014年9月16日火曜日

三陸海岸

JR石巻駅

石巻駅列車


津波災害(女川)

災害復興事業カンバン(女川)

復興事業工事(女川)

JR気仙沼駅

 



気仙沼駅(バス輸送)


JR気仙沼駅(列車)

気仙沼魚市場


気仙沼魚市場(津波の記録、青カンバン)


気仙沼魚市場(もどり鰹氷詰め作業)


気仙沼魚市場(もどり鰹出荷作業)


奇跡の一本松(陸前高田)


奇跡の一本松(陸前高田)


奇跡の一本松(説明)


盛土工事(陸前高田、山から土をコンベアベルトで運搬)


盛土工事(陸前高田、土をコンベアベルトで運搬)

JR宮古駅

山田線(宮古⇔盛岡)

 

JR宮古駅構内




浄土ヶ浜(宮古)



JR釜石駅

 

JR釜石駅


JR釜石駅と製鉄工場


製鉄会社発電所(釜石)

三陸鉄道久慈駅(八戸行列車)



三陸鉄道久慈駅




久慈港


久慈港津波モニュメント(津波の高さ)


海女の里(久慈小袖海岸)


北限海女の里(久慈小袖海岸)




津波襲来の碑(久慈小袖海岸)


北限海女の里(久慈小袖海岸)


三陸鉄道種差海岸駅


三陸鉄道列車(種差海岸駅)


種差海岸

ウミネコ繁殖地(蕪嶋)

ウミネコ繁殖地(蕪嶋)

ウミネコ繁殖地(蕪嶋神社)

ウミネコ繁殖地(蕪嶋神社、歌人白蓮訪問地)

JR本八戸駅(在来線駅)

JR本八戸駅改札

JR八戸駅(新幹線、在来線)

JR八戸駅新幹線改札

  この9月中旬、三陸海岸をドライブした。仙台から石巻に入り、気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石、宮古、久慈、八戸まで、海岸通りに沿って走った。至る所で震災復興工事が進んでおり、とにかくたくさんのダンプカーが行き来していた。

  しかしまだまだ復興には程遠く、これからも大変な資金と労力、さらには歳月が必要なようである。日本のあらゆる力を集中させ復興事業を優先的に進めないとこれからも仮設住いが延々と続き、土地改良、津波対策なども遅々として解決しそうにない。それに加えて原発事故の対応も抜本的対策がなにもなされないままである。これからも震災復興事業は永遠に続くような気配であった。

  
  地震、津波、原発事故、竜巻、雷、洪水、がけ崩れ、台風、火山噴火、冬には雪害など毎週のように発生する災害国日本の現状である。自衛隊はいっそのこと名前を変えて災害救援隊に組織変更すべき状況ではないかと思う。オリンピックなどやっている場合ではないと感じたドライブであった。


2014年9月15日月曜日

魹ケ崎(とどがさき)

本州最東端の碑(魹ケ崎)

魹ケ崎灯台

灯台と碑

「喜びも悲しみも幾歳月」のプレート

岬の崖

太平洋(魹ケ崎)

姉吉キャンプ場駐車場

岬へ向かう山道入口

津波の記録


岬に向かう山道


山道からの海岸




山道からの海岸

本州最南端(和歌山潮岬)

本州最西端(山口毘沙の鼻灯台)

 

  本州最北端は青森大間崎(http://tsukubanite.blogspot.jp/2009_05_01_archive.html#2373392234899912090)、 最南端は和歌山潮岬、最西端は山口毘沙の鼻、いずれも今までにすでに訪れている。そして、本州最東端は岩手県魹ケ崎(とどがさき)。ようやく本日訪れることになった。

  宮古から車で約1時間、山道を走り岬の入口である姉吉キャンプ場に着いた。キャンプ場といっても広場があるだけでその面影はみられない。ここも津波の被害を受けており、すべて流されたのだろう。広場に車を駐車し、岬まで約4kmをゆっくり歩くことにした。

  車にはいつもLEKIを積んでおりそれを助けにまずは急な坂道を登った。30分ほどで登り道もなくなりなだらかな山道が続く。林の木々の間には美しい海岸が見える。久しぶりのハイキングである。約1時間半で灯台のある岬に着いた。

  ちょうどお昼であったので岬の見晴台でお結びを食べた。前には広大な太平洋が広がる。この灯台は映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台。子供のころよく聞いた、若山彰が歌った「おいらみさきのとうだいもり・・・」を思い出す。岬にはその記念のプレートが記されている。この灯台は今も無人で活躍している。帰りは約1時間で駐車場に戻ることができた。久しぶりにいい運動ができた。

2014年9月14日日曜日

遠野

JR遠野駅


遠野物語の館


柳田国男像


千葉家の曲り家


千葉家の曲り家

千葉家からの風景


千葉家の曲り家 

  三陸海岸のドライブ途中、釜石から海岸を離れて花巻の方角へ向かった。一時間ほどで遠野に着いた。駅前に車をおいて、駅近くの遠野物語の館を訪れた。

  柳田国男で有名な遠野物語。伝承による昔物語をよみがえらせた。日本の各地に伝えられている昔話が多くあるが、この地に住む方々の話を書物にしたのである。昔話としてはそのままであるにもかからわず文学的にもすばらしく、昔話の普遍性を世に知らしめたという。

  釜石に戻る前に、遠野駅から8km位のところにある昔ながらの茅葺屋根の旧家の建物を見学した。千葉家の曲り家という。厩戸と母屋がL字型に作られていることから曲り家と呼ばれている。周りは静かな緑の風景が広がり東北の田舎の雰囲気を満喫できた。