2009年4月8日水曜日

東京自宅マンションの桜


  今年もようやく桜が満開になった。3月末から4月はじめにかけて寒い日が続き膨らみかけていたつぼみが硬くなっていた。数日前から暖かくなりすっかり春の季節になった。東京のマンションに住み始めて30年弱になる。

  30歳にして東京に転勤になり、まもなく自宅を確保すべくいろんなところを探して回ったが、我々団塊の世代が大挙して住むところを購入しだしたときでもあった。霞ヶ関への通勤の便利なところということで都内のマンションを探したが、いつも希望者が多く抽選であった。何回もいろんな場所の申し込みをしたが落選ばかり。そういえば大学受験もある受けた大学は競争率40倍であった。今では考えられない数字であった。住むところを購入するのも競争になるとは思いもよらなかった。
 
  その結果やっと当選したのが今のマンション。ちょうど入居したのが3月でこの桜はその時から美しい花を咲かせてくれている。当時の幹は小さいものであったが、今では40~50cmはある。堂々とした木に成長した。秋には葉が紅葉し、春と秋の2度美しい光景を楽しませてくれている。
 
  ところで30年ほど前、このマンションに入居してまもなく駐車場に真っ赤な新車のポルシェがあるのに気がついた。運転手が近くから訪れて運転しているようであった。だれが乗っているのであろうかと思っていたが、この持ち主である住人はビートたけしであった。当時のその運転手が東国原宮崎県知事であったことは、知事に当選しテレビで昔話をしているのを聞いて知った次第である。知事は近くに下宿していたという。
 
  最初はあまり知られていなかったがまわりに知れるところとなりファンがうろうろするようになった。奥さん、子供と一緒に住んでおり、わが子供、妻とも仲良くしていた。家にお邪魔しその当時のタケチャンマンのぬいぐるみで遊んでいる写真が残っている。そしてまもなく白亜の大御殿に引越して行った。
 
  このような思い出もついこの間のように思い出される。5年ほど前には全面的リニューアルをして、バリアーフリーの構造に改造され新しい美しいマンションに生まれ変わっている。東京自宅では部屋から見下ろす形で花見が楽しめる。これからも毎年この桜が春を知らせてくれることを楽しみに過ごしたいと思う。

2009年3月7日土曜日

五浦の鮟鱇


一年前は広島は三原に住んでいた。ここの地酒である酔心は今ではその名の料理屋も東京にあり名前はよく知られている。このお酒をこよなく愛した人に横山大観がいる。とにかく酒好きで食事代わりに毎日1~2升酒を飲んだと言う。ほとんどアルコール依存症の中で作品を描いていたことは容易に推測できる。それを支えていたのがこの酔心の蔵元。代金代わりに作品を年に一回は送ってもらっていたという。四六時中酒が飲みたい大観と日本画の巨匠の作品が入手出来るという利害が一致したのだろう。今では酔心は大観展示会を定期的に催しているという。この横山大観が水戸の出身で岡倉天心と共に五浦に住み創作活動に励んだとのことを今回初めて知った。                                        
ニュースで五浦の茨城県天心記念美術館で「東京美術学校に学んだ日本画家たち」の特別展が開催されていると報じていたので出かけることにした。常磐道日立北で降りてまずは蕎麦の傳六で昼食をとった。住宅街にありもともと自宅の庭であった所に店を開いたと言う。細めの十割蕎麦とてんぷら、それから卵焼きを頂いた。蕎麦は腰もあり細いのでヌードル独特の感触も味わった。ただ卵焼きは甘みが強く、最近砂糖を食べないようにしていることもあり今の好みには合わなかった。以前なら喜んで食べていたと思う。                                                
今日は土曜日でもあるので自動車、観光バスなどでたくさんの人が訪れていた。東京美術学校の初代校長であった岡倉天心は当時まだ20才台であったと言う。明治の偉人は若くして重要なポストについて日本の近代化に尽くしたことが理解できる。その弟子の一人が横山大観である。天心が美術学校を辞めた後この五浦に住み大観などと共に創作活動を続けた。太平洋の小さな入り江の絶壁にその建物があり、太平洋の荒波の音を聞き、太平洋を眺望しながらの生活であったようだ。                                        
この近くには観光ホテル、民宿など観光施設もありこの景観を楽しみに来る人も多い。その中に鮟鱇料理店もありその玄関に鮟鱇解体の実物を見ることが出来た。ドイツ時代、ドイツの田舎では豚をつるして解体し骨以外はすべてソーセージなどに加工し食料として利用していることを知ったが、同じような食文化と感じる。鮟鱇鍋を食べたかったが、お昼のお蕎麦でお腹がいっぱいなので今回は断念した。次回はぜひとも鮟鱇鍋を食べたいと思う。

2009年3月5日木曜日

水戸偕楽園の太郎杉


季節の変わり目か? 最近ぐずついた天気が続いているが、久しぶりに回復し朝から日差しを見ることが出来た。11時ころにつくば自宅を出て水戸に向かった。水戸は今までにも何回か出かけているが、東京から出るため、行楽に一日かけて行くという気分であった。今回はちょっと近くへ外出するとの気楽な気持ちで出かけた。

40分ほどで水戸に着き昼食は蕎麦一久でとった。かなり腰のある細めの手打ち蕎麦で美味しく頂いた。ここは蕎麦の他におやきも有名とのことで、山菜と野沢菜の入ったおやきも食べた。なんともいえないうまみがあり絶品であった。

昼食後偕楽園に向かった。昔来た時は常磐線で偕楽園駅を降りてすぐ園に入った記憶がある。今回は駐車場から常磐線の陸橋を渡って園内に入った。平日にも拘わらず大変な人である。ただ来訪者の年頃は我々と同じくらいの人が多く、若い人はわずかであった。

梅の花はまだ満開ではないがそれでも一面花の色で覆われており春が来たことを思わせる。昔来た時には気がついていなかったがこの公園は竹林や杉林もあり梅のみならずいろいろな植物と吐玉泉という自然の泉から成り立っている。その一つに樹齢700年と言われる大きな太郎杉も見られた。また太い枯れかけた梅の老木もあったが人間の手で手入れされ先の細い枝にはちゃんと花をつけている。人の手を借りながらもまだまだ生きている証しである。人の命は短いがこれらの木々はその時代時代を生き抜きこれからも何百年と生き続けるのであろう。

帰りには水戸藩藩校の弘道館にも立ち寄った。最後の徳川将軍慶喜も5歳からこの藩校で英才教育を受けたと言う。興味深かったのは乗り物などいろんな工夫された道具の設計をして楽しんでいたようで子供の頃書いた設計図のようなものも展示されていた。当時、明治維新の激動の人生を歩むとは本人も予想していなかったと思うが、もし徳川将軍になっていなければ平賀源内のような発明家になってもう少し穏やかな人生を過ごしたのではないかと空想する。

夕方には日差しがなくなり曇り勝ちの空模様になったが雨には至らず、ちょっと早い目のなたね梅雨の合間の一日であった。

2009年2月28日土曜日

我が家のお雛様


長女が生まれた時は石川県小松に住んでいた。お雛様を購入するため金沢市へ出向き木目込み人形のお雛様を買い、それ以来毎年飾るようにしてきた。転勤による移動のためにそのつど家の都合により飾り方はいろいろであった。たとえばドイツにいるときは本箱の飾り棚の花瓶などを移動させてそこに置いた。また机の上に並べることもあった。
つくばに住みだして初めてのひな祭りであるので、また今後は転勤もないのではじめて専用ひな壇を作ることにした。木を購入3段のひな壇を作り、その上に赤い毛氈を敷いて人形を飾った。やはりきっちとした段飾りにするとひな祭りらしくなった。先週見に行った真壁のお雛様と比べてかわいい顔した人形たちである。これからもこのひな壇に人形を飾りひな祭りを祝いたいと思う。

2009年2月22日日曜日

真壁からの筑波山

           (真壁のひな祭り) 
*                                                 筑波山北にある真壁町は石の町で知られているが、今ひな祭りで賑わっている。今まで何回か訪れているが普通の日には町にはほとんど人影は見られず古い旧家の趣のある家々を見て通り過ぎるのみであった。今日初めてじっくりと町を歩いた。
さすがまつりであるため臨時の駐車場もあり、車でいっぱいであった。観光バスも3~4台駐車しており、筑波山梅林祭りと組んだ日帰りツアーのようであった。町並みの中も人がいっぱい。各家にお雛様が飾られ、家の中に入って見ることが出きる。三原に住んでいたときにも、広島でも上下町とか竹原でも同じようにひな祭りがあり見に行っているがこれほど人は多くなかった。観光バスでのツアーコースに組み込まれていることが大きな違いではないかと思う。
江戸時代のお雛様や最近のもの、木目込み人形など、あるお家の人に聞くと新しいお雛様は孫のものとの話をしていた。一通り見て歩いてお腹が空いたのと休憩のためすいとんを食べた。なぜ真壁ですいとんなのか理由は分からないがなかなか美味しかった。このまつりの食べものとして宣伝しているようである。
今まで筑波山をいろんな場所から見てきたが、真壁から見る筑波山は近くであることから大きく見え、また二つのピークが最も幅広く離れており、筑波山の特徴が一番はっきりする光景であった。帰りまもなく車がのろのろ運転になった。その理由は道が筑波梅林からの帰り道と合流しているためであった。渋滞を避けるため、わき道にそれてつくばの田舎道を満喫しながらの帰宅となった。

2009年2月16日月曜日

つくば牡丹園


つくば近辺にはフラワーガーデンがたくさんある。その一つが牛久沼近くにあるつくば牡丹園で、午後訪れることにした。

自宅から約10km、車で30分ほどで着いた。ちょうど冬牡丹が赤、白、ピンクなど色とりどり、大輪あり、少し小さ目の花あり、花はいつ見ても美しく心を和ませてくれる。
牡丹は普通春と秋に咲く花というが、今咲いている牡丹は工夫して冬場に咲かせるようにしたもの。
冬場は美しい花が少ないがこの牡丹はその少ない花のうちの一つということで、観賞用として貴重なものになっている。
筑波山近くの平地には夏場一面ひまわり畑のところもあり、他にもいろいろな花を見ることが出来る。これからも四季の花々を楽しめそうである。

2009年2月12日木曜日

筑波山梅林からの関東平野


筑波山梅林は筑波山の中腹にある。すでに梅林の梅が咲き始めているとの情報があったので出かけることにした。めずらしく妻から今日は自分の車で行こうという。いつもは私から、一週間に一度は車を動かしてやらないとバッテイリーがあがってしまうよと言っているのにどうしたことか。しばらく運転していないこともあり運転したくなったようで、とにかく妻の車で出かけた。

駐車場に車をとめて梅林を登った。いろいろな梅林を見て歩いているが関東平野が眺望できて雄大な景色が堪能できる点、今まで経験したことのないことであった。花は紅梅、白梅、八重の紅梅など3部咲き程度であるが、すでに満開に近い木々もあり、関東平野を一望出来る梅の木の下で休憩した。霞がかかり遠くの富士は見ることは出来なかった。手持ちのケーキを食べながらお茶を飲み日光浴、妻は太極拳のエクササイズをしたりして景色を楽しんだ。
梅祭りは来週からということでまだ人は少ないが、私たちと同じような退職した夫婦の方々が見られた。平日に来られるのは退職後の大きなメリットで皆さんも思いは同じようだ。帰りは旧筑波街道を走った。道は狭く妻も運転はしずらかったようであるが、昔ながらの旧家の屋敷など見られ趣のある街道であった。
筑波山麓は気温が低いがその中腹はいつも暖かいという。気温の反転現象と言われている。梅林の雰囲気は春が近いそのものであったが、テレビのニュースで筑波山中腹には福寿草が咲き始めたと伝えていた。まだまだ寒い日は続くと思うが、日が沈むのも少しずつ遅くなり春の足音は着実に近づいているようである。