2016年3月10日木曜日

新国立競技場3

バルセロナオリンピック競技場聖火台
(1994年1月1日訪問時撮影)
(聖火をつけた矢は聖火台の上部を通り過ぎたという)

  昨年予想していたが、(http://tsukubanite.blogspot.jp/2015_09_01_archive.html#3167558671925502364) またまた東京オリンピックに関する問題が出てきた。聖火台を設置する場所が競技場設計に含まれていないとのこと。一番の問題は、新国立競技場は木材が多用されるため火災の心配があるという。

  いつものことであるが、また推進組織間で責任逃れ的発言が続いている。大会組織委員会会長は即座に日本スポーツ振興センター(JSC)が考慮していなかったと非難、一方、JSCは開会式のイヴェントが決まってから検討する予定であったという。五輪担当大臣は、聖火台については最初のザハ案の段階で決まっていたと理解しており検討はしていなかったという。

  莫大な税金を使って準備しているのであるが、その責任ある当事者のいい加減さには閉口である。JSCが競技場の建設を担当しているが、聖火台についてはコンペ条件として入れる必要はないと説明したとのこと。設計者は入れる必要があるのではと問い合わせたが必要ないと強調したという。その背景にはJSCの予算が膨れることにあったとの話も漏れ聞く。

  首相の大嘘で始まったこのオリンピック。結局は3つの組織が一丸となり、真剣に取り組む姿勢が全くなく、それよりもこの大イヴェントによる利権の奪いあいに興味があるのであろう。

  一方、先日のシャラポワのドーピング告白を見ると、オリンピックはすでに薬物に汚染されていると思わざるを得ない。シャラポワの場合、今年禁止になった薬を10年にわたって使用していたという。心臓病の薬であるがそのような病気があるとは思えない。今回の告白ではっきりしたことは、禁止物質以外は東西を問わず世界のほとんどの選手が手を染めていることではないか。

  オリンピックに群がる利権争い、それに薬物使用という純粋スポーツ精神とは程遠い現状。その中で、競技場建設のみならず選手強化のためにも大変な税金が使われている。世界最大の赤字国家財政を考えると東京オリンピックを返上する時が来るのではないかとさえ思う。

2016年3月3日木曜日

岡本太郎記念館

 岡本太郎記念館入口の表示

記念館全景
 庭
庭に置かれている像 
庭に吊られている鐘
庭に置かれている像
庭に置かれている像
 庭から見上げると見える太陽の塔
 展示室に置かれている像
 展示室の蝋人形
 生活していた部屋
 アトリエ(未完成のキャンパス)
 アトリエ(未完成のキャンパス)
 石と樹
 縄文土器の説明
縄文土器
 動物
絵画
 蟻     死の灰 踊る 神話 
樹人 幼神    至上命令  原始
               生誕   創生
 展示室の太陽の塔

  年初めからいろいろな出来事が明らかになり、マスコミの休む暇もない今日この頃である。芸能人、国会議員の不倫騒動、現役大臣の賄賂不正、環境大臣の放射線に関する無知識、担当大臣が北方領土の名前が云えない、そして毎日のように発生する殺人事件など、あきれ返るようなことばかりである。

  ご本人たちはその所業に対して形式的な対応はするが、本当に反省して責任を取る兆候は全くなく、また殺人事件の解決も難しいものも多い。このようなあってはならないことがまかり通っている現状を見ると、テレビ映画の話、「必殺仕事人」がこの世の中にも必要ではないかとさえ思う。
  
  世の中、人間の理性とは程遠い肌寒いことばかりであるが春はやってくる。この冬は暖冬といわれたが、先日は北海道など北日本が猛吹雪に見舞われ、今までの暖冬を帳消しにするような天候であった。本日はお雛様。ようやく暖かい日となり、東京青山の岡本太郎記念館に出かけた。

  岡本太郎といえば、一番記憶に残るのは大阪万博の太陽の塔であった。大学を卒業した年に万博が開催されたが、何回となく訪れた。大変な人出で、日本のエネルギーが爆発しているようであったと記憶に残っている。高度成長期の象徴的な催しであった。

  この記念館にはそのミニチアが2か所に置いてあった。スペインのミロの抽象芸術を彷彿される絵画、像が展示されているが、そのヒントは縄文土器の絵柄であったとのことを今回初めて知った。

  アトリエも残されており、その棚にはたくさんのキャンパスが置かれている。亡くなった時のそのままの状態で保管しているという。そのキャンパスには絵が描かれており未完成品のままという。

  表参道から骨董通りを歩いて15分くらいのところにこの記念館はある。行きかうのは今はやりのファッションで着飾った若い女性が多い。天気がよくダウンも必要なく、青山を行き来し春の雰囲気を味わいながら散歩も楽しめた日であった。