コンスタンツ宗教会議会場
(宗教改革学者フスの焼殺を決める)
再洗礼派首謀者3人処刑後のさらし籠(ミュンスター・ランベルティ教会) |
最近毎日報道されるのはイスラム国に関するニュースである。非人道的な残虐行為が報道されるたびに人間の尊厳が否定されているとの思いが募る。
今問題のイスラム国は宗教上の活動のようであるが、ヨーロッパでも中世の宗教改革時代には全く同じような残虐な行為が行われている。宗教改革を唱えたフスが焼き殺されているが、その判断がなされたのがコンスタンツ宗教会議である。この採決でフスは異端者として焼殺されることになったものである。(http://tsukubanite.blogspot.jp/2013_05_01_archive.html#4761085921665277314)
また再洗礼派の弾圧では、カトリック派のみならず宗教改革を推進したルター派でさえも加担し、再洗礼派首謀者3人を焼きゴテで処刑という蛮行を犯している。
今の時代でも同じようなことが繰り返されるのはなぜかと考えざるを得ない。このような残虐行為が起こる一番の原因は報復という感情ではないかと思う。権力者であろうと、その日も生きられない貧困の人々でも、人々が何等かの憎しみから報復の気持ちがわき出て、このような残虐行為に結びつくとういう見方である。
結局はこのような残虐行為をなくす方法は、まずは圧政、貧しさ、などのような憎しみを作る原因をなくすること、そしてさらにはたとえ残虐行為があったとしてもその報復の連鎖を切ることしか解決方法はない。
報復という行為は、永遠に憎しみが続き解決が不可能になることは、世界のいろんなところで解決の糸口のない紛争が延々と続いている事からもはっきりしている。この報復という行為が残虐行為を続ける理由づけにもなっている。現在ニュースで聞こえてくる政治家からの言葉は報復ばかりである。解決は永遠にできそうには思えない。
一方、世界には世の中を変えた偉大な指導者がいたことをもう一度見直す必要があると考えている。ガンジー、キング牧師、マンデラなどなど。ぜひともこれらの人々の人生を再度認識したいものである。