2013年5月30日木曜日

ゲーテインスティチュート

 
 ローテンブルグ駅
 セントマイヤーさん自宅敷地
ローテンブルグ(城郭外から)

  ローテンブルグを最初に訪問したのは1991年7月のことである。駐在員として赴任しドイツ語研修のゲーテインスティチュートに通うためであった。夏休みも兼て二か月滞在、久しぶりの学生気分で過ごした覚えがある。

駐在時代は車での移動であったが、今回はガルミッシュ・パルテンキルヘンからミュンヘンにて乗り換え、ドイツ新幹線ICEを利用し、ローテンブルグへの支線に乗り換え到着した。

  研修の時ホームステイしていたセントマイヤーさんのお宅をさっそく訪ねた。事前連絡しないで行ったが、運よく在宅でお会いすることが出来た。彼は同い年くらいであるが当時は独身であった。その後結婚し奥様も一緒に会うことが出来た。奥様はフランス人で、ゲーテインスティチュートでドイツ語研修に来てセントマイヤーさん宅でホームステイし、それが縁で結婚したとのことであった。

  当時は農業をしておられたが、すでにリタイヤし年金生活である。ローテンブルグのゲーテインスティチュートは廃校になり、自宅の空いている部屋はいろんな人に貸しているとのこと。とにかくお元気で悠々自適の生活を二人で楽しんでいおられるようであった。

  ローテンブルグも久しぶりであったが、昔と変わりなく観光客でにぎわっていた。ここも日本人団体旅行の方々のみならず中国、韓国の観光客が多く、昔との違いを見せていた。

2013年5月28日火曜日

ツークシュピッツェ

 ガルミッシュ・パルテンキルヘン駅
 ドイツアルプス
 ツークシュッピツェ山頂
 ツークシュッピツェ山頂
 ツークシュッピツェ山頂
 ツークシュッピツェ山頂(オーストリア国境)
ジャンプ会場

    5月末にもかかわらずヨーロッパは寒く冬の衣装が離せない。それに加えて天気が良くない。ドレスデンなどドイツ東部ではホッホバッサー(洪水)の被害も出ている。イタリアでさえ寒くてコートをずっと着ていたそんな中、昨日オーストリア国境に近いガルミッシュ・パルテンキルヘンに入った。その寒さは続いている。

  しかし本日は寒いが良い天気になった。ただ夕方からは曇り空になるとことで午前中にツークシュッピツェに登ることにした。登山電車とロープウエイで標高約3000mのドイツ最高峰に降り立った。当然雪の世界であるが、スイスアルプス、日本の立山と同じ光景であった(http://tsukubanite.blogspot.jp/2010_05_01_archive.html#4862800663055605270)。 

   気温は0℃くらいで、さらには酸素も少なく動きは鈍くならざるを得なかった。頂上にはオーストリア側からも到達でき、昔は頂上でパスポートチェックが実施されていたとのこと。

  午後には山を下り、オリンピック会場跡、ガルミッシュ・パルテンキルヘンの旧市内を見て回った。特にジャンプに関しては毎年大会が開かれており、1997/1998はFUNAKIが優勝者との記載も見られた。夕方には頂上付近に雲がかかり見えなくなってしまった。つかの間の晴天でラッキーな一日となった。

2013年5月27日月曜日

ボーデン湖

コンスタンツ駅
宗教会議建物(宗教改革者フス裁判)
コンスタンツ港
ボーデン湖
フリードリッヒスハーフェン 駅
リンダウ

  ボーデン湖に面する港のあるコンスタンツは初めての訪問であった。あいにく天候が悪く見通しがつかないことから船に乗るのはあきらめた。ローカル鉄道鈍行列車でボーデン湖沿いに旅することにした。

  コンスタンツは宗教会議で宗教改革者のフスが火あぶりの刑の判決を受けたところである。キリスト教内での非人道的行いが昔は当然のこととしてなされており、宗教といえども権力化すると政治の世界と同じになることを歴史が教えている。

  途中フリードリッヒスハーフェン駅を通った。この街には行きたいところがある。飛行船で有名なツェッペリン社、宇宙工学で有名なドルニエ社があり、それぞれの博物館があると聞いている。

  現役時代飛行船のプロジェクトにも関係していた事、またドルニエは革新織機、フィルム製膜装置など現役時代の業務に関係する設備会社としてコンタクトしたことがある。しかし残念ながらローカル列車のため本数が少なく降りると本日の目的地、ガルミッシュ・パルテンキルヘンに着くことが出来ず断念した。

  天候がすぐれず遠くは見通せなかったが、湖を見ながら、ラドルフツェル、フリードリッヒスハーフェン、リンダウ、ブッフロエ、ミュンヘンで5回乗り換え、6時間かけてガルミッシュ・パルテンキルヘンに着き、鈍行列車の旅を終えた。

2013年5月25日土曜日

イタリアモンツァ

 ミラノ中央駅
 モンツァ駅
 降りたバス停(Via Della Vittoria)
 ミケランジェロさん自宅兼事務所
 昼食の準備
 昼食(アスパラスパゲッティ、ラザニア)
ミラノドウモ

  ミラノの北約20kmのところにモンツァという町がある。ミラノ中央駅から列車で15分、モンツァ駅に着く。モンツア駅からバスでさらに15分、ミケランジェロさんの自宅兼事務所を訪れた。秘書のパウラさんが出迎えてくれた。

  ミケランジェロさんはちょうど主催する研修の最中であったが、休憩時間に出てきて挨拶することができた。初めてお目にかかったが、その名前と活動については長女から聞いていた。3年前、長女がイタリア北部アルプスの山で断食などの実践コースを受けたことから知ることとなった。(http://tsukubanite.blogspot.jp/2010_12_01_archive.html#2228127435096163493

  彼はもともとお医者さんで、現代の医学では対応できない病に対して解決法を探し、世界の情報を探し求め、実践し、その結果を普及させるべく活動をしているという。がんをはじめ病の根源は食べることにあり、結論として菜食主義がベストと主張されている。

  初めてお会いし、日本の医者からは肉は食べない方が良いといわれ、今は肉を食べるのをやめ魚だけにしていると話した。すると彼は、彼のさらなる研究調査の結果、肉のみならず魚も含めたすべての動物性は食べない方が良く、砂糖も避けるべきとの説明であった。

  自分の考えを実践するためにいろいろな食事を研究しており、前日は牛乳、砂糖、バターを使用しないアイスクリームをいただき、本日昼食は動物性を一切使わないアスパラのスパゲッティ、ラザニアなどごちそうになった。味は絶品であった。砂糖なし、肉なし、牛乳なし、バターなし、動物性を含まない食べ物とは信じられなかった。

  日本でも動物性を含まない食事はできるが、これほどおいしくできた料理は初めてであった。イタリア人を表すことば、マンジャーレ(食べること)、カンターレ(歌うこと)、アモーレ(愛すること)の一端を再度知った。味に関してはさすがイタリアと思う。

  偶然にも、ミラノ中央駅近くのホテルミケランジェロに宿泊しての訪問であった。ミラノ市内は有名なドウモ、アーケード、ブランド通りなど散策したが、昔とほとんど変わっていなかった。ただ行きかう人が日本人のみならず、ここでも中国、韓国などの人々が多く、時代の流れを感じた。

2013年5月15日水曜日

ベルリンドームコンサート

 ベルリンドーム
 ドーム天井
 ドームコンサート
 ベルリン中央駅
 ベルリンラートハウス(市庁舎)

 ベルリンの壁公園

 追悼写真
ソニーセンター(ポツダム広場)

  久しぶりに教会内での音楽を聴く機会が持てた。ベルリン中心部にあるドームで、シェーンベルクの「グレの歌」であった。ふつう教会での音楽というと古典の曲が多いが、趣向の異なる音楽である。オラトリオで管弦楽とともにソリスト、合唱団とかなりの大掛かりな演奏会であった。いつものことながら、教会内での音の響きは心地よい気持ちにさせてくれる

 

  ベルリンも久しぶりであるが、以前来たときは旧西ベルリンの動物公園駅付近が中心街であり、また一部ベルリンの壁が残っており、ブランデンブル門など工事中であった。またようやくポツダム広場のソニーセンターが出来たところで、開発が進行中の時であった。

  今では旧東ベルリンにある東ベルリン駅との間に新しくベルリン中央駅ができ、ブンデンブルグ門近辺はきれいに整備されていた。近くには悲劇を弔うべく慰霊施設もできていた。中心街はブランデンブルグ門につながるウンターリンデン通りに移行しつつあった。ウンターリンデン通り近くには市庁舎も見ることも出来た。

  ウンターリンデン通りは地下鉄の工事中で車、人々で結構混雑している。これのみならずSバーン環状線内外ともいろんなところで工事が今も進行中で、ベルリンはますます変化する兆しを感じた。昔に比べて観光客が多く、ドイツの首都としての位置づけが確立したようだ。


  Sバーン北駅近くにはベルリンの壁公園があり、壁がそのまま保存され、記念物として管理されている。この壁を越えようとして射殺された人々の写真も残され昔の出来事を後世に伝える努力がなされている。昔の悲劇を後世に伝えるとともに、新しいベルリン作りに邁進しているとの印象を受けた。