この夏は結局ひまわりだけが育った。水やりなどほとんど世話をしなかったこともあり、秋に期待していたコスモスは芽が出ず当然花も咲かなかった。雑草ばかりが大きく成長し、今では枯れていた。枯れ草を伐採しそのまま畑に残した。また土に戻るものと思う。
本日は恒例の第九交響曲を聴きに東京へ向かった。例年の日フィルと違って今年はレーニングラード国立歌劇場管弦楽団による東京駅前の東京国際フォーラム大ホールでの演奏会である。
クリスマスということもあって、メサイアからハレルヤコーラスなどもあり堪能した。バックグラウンドミュージックとして心地よい流れを感じるモーツアルトの曲に比べて、ベートーベンの曲は人間そのものの営みをいつも感じる。
今年は大震災による福島原発事故があった。これも人間の営みの一つ。大震災の被害はこれからの復旧の努力で立ち直れることは間違いないと思うが、原発事故の今後は人間の知識の範囲を超えており、これから20年後、50年後、そのあともその解決の困難さが現実のものとなるのだろう。
つくばから柏にかけてホットスポットとなっているようで、関西地区へ移住するかと考えるこのごろである。関西地区へ移ればまた畑作業も出来るかもしれないが、もっと近くにある敦賀原発の事故により今以上の問題になる可能性もある。安心して生活できる環境はもう日本にはないようである。
人間の営みの愚かさをつくづく感じる。これからの日本の苦難の歴史の始まりの年となった。ベートーベンの表現したかったFreude(歓喜)はこれからの日本には難しのか。
しかし、音楽の世界では毎年歓喜の世界に触れられる。おろかな人間の営みとの比較で対照的な営みである。ベートーベンの偉大さを実感する日でもあった。