一年前は広島は三原に住んでいた。ここの地酒である酔心は今ではその名の料理屋も東京にあり名前はよく知られている。このお酒をこよなく愛した人に横山大観がいる。とにかく酒好きで食事代わりに毎日1~2升酒を飲んだと言う。ほとんどアルコール依存症の中で作品を描いていたことは容易に推測できる。それを支えていたのがこの酔心の蔵元。代金代わりに作品を年に一回は送ってもらっていたという。四六時中酒が飲みたい大観と日本画の巨匠の作品が入手出来るという利害が一致したのだろう。今では酔心は大観展示会を定期的に催しているという。この横山大観が水戸の出身で岡倉天心と共に五浦に住み創作活動に励んだとのことを今回初めて知った。
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ニュースで五浦の茨城県天心記念美術館で「東京美術学校に学んだ日本画家たち」の特別展が開催されていると報じていたので出かけることにした。常磐道日立北で降りてまずは蕎麦の傳六で昼食をとった。住宅街にありもともと自宅の庭であった所に店を開いたと言う。細めの十割蕎麦とてんぷら、それから卵焼きを頂いた。蕎麦は腰もあり細いのでヌードル独特の感触も味わった。ただ卵焼きは甘みが強く、最近砂糖を食べないようにしていることもあり今の好みには合わなかった。以前なら喜んで食べていたと思う。
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今日は土曜日でもあるので自動車、観光バスなどでたくさんの人が訪れていた。東京美術学校の初代校長であった岡倉天心は当時まだ20才台であったと言う。明治の偉人は若くして重要なポストについて日本の近代化に尽くしたことが理解できる。その弟子の一人が横山大観である。天心が美術学校を辞めた後この五浦に住み大観などと共に創作活動を続けた。太平洋の小さな入り江の絶壁にその建物があり、太平洋の荒波の音を聞き、太平洋を眺望しながらの生活であったようだ。
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この近くには観光ホテル、民宿など観光施設もありこの景観を楽しみに来る人も多い。その中に鮟鱇料理店もありその玄関に鮟鱇解体の実物を見ることが出来た。ドイツ時代、ドイツの田舎では豚をつるして解体し骨以外はすべてソーセージなどに加工し食料として利用していることを知ったが、同じような食文化と感じる。鮟鱇鍋を食べたかったが、お昼のお蕎麦でお腹がいっぱいなので今回は断念した。次回はぜひとも鮟鱇鍋を食べたいと思う。