2013年7月20日土曜日

黒瀬農舎


大潟富士

水田

マガモ農法
    
  毎日食べているお米は大潟村黒瀬農舎産のものである。無農薬のお米ということであるが今回はじめてその農場の現場を見学することが出来た。

  ご主人が案内してくれた。琵琶湖に次ぐ日本で2番目に大きな湖であった八郎潟を干拓しお米の産地にしたものである。もともとの湖の深さは数メートルで、干拓後土を追加せずそのまま農地にしており、海抜マイナスであるという。海抜がマイナスであることを知らしめるために大潟富士が人工的に作られ、その頂天が海抜ゼロであることを示している。全体の土地は山手線内がすっぽりはいるという。

  広大な土地に一面稲の水田が広がっている。それ以前は滋賀県で公務員をしていたが、干拓事業に応募したという。入植して40年になる。無農薬とのことで雑草対策は大変で、マガモを使った農法も採用しているとのこと。今では息子さんと共同で運営している。安全、安心のみならず、販売も手掛けるという新しいビジネス開拓も進めている。

  毎日食べるお米の生産現場を見ることにより、ますますこのお米に対する信頼を得ることができた。よくかんで味わいたいと思う。
  
  

2013年7月12日金曜日

納沙布岬


納沙布岬
納沙布岬
納沙布岬灯台
道路標識
     今まで、日本最北端の宗谷岬(http://tsukubanite.blogspot.jp/2009_12_01_archive.html#2211460012625323063)、本州最北端、最南端、最西端の大間岬(http://tsukubanite.blogspot.jp/2009_05_01_archive.html#2373392234899912090)、潮岬、毘沙の鼻など見てきている。昨日、本日は北海道の襟裳岬、納沙布岬を訪れた。昨日襟裳岬を見て根室に着いたのであるが、根室では道路標識案内が日本語、英語に加えてロシア語が書かれている。

  納沙布岬から数キロのところがロシア領ですぐ近くに見える。岬には北方領土返還運動の資料館もあり、4島の土地は合わせて福岡県と同じ面積に相当してるとの説明があった。また北方領土の地図には、戦前に住んでいた人たちの場所に個々の名前も記載されている。

  世界には解決の糸口のない紛争、たとえばパレスチナ紛争、北アイルランド紛争など多々あるが、この北方領土問題もその一つと思う。その紛争のもとは武力などの独断的な強硬手段の蛮行による。北方領土問題もその根本的原因は戦争を起こしたことに他ならない。一度起こるとその解決は永遠に難しくなることを歴史が教えてくれている。

  戦争のような蛮行を起こさないことが唯一の再発防止策であるが、起こってしまった紛争に対応するには、お互いの立場だけを主張している限り解決の見込みはない。時間をかけて双方がウインウインになれるような状態の変化をあきらめることなく地道に模索することが必要と考える。

  岬といえば今まで最も印象に残っているのがノールウェイのノルトカップではないかと思う。ヨーロッパ大陸最北端といわれる。夏場に訪れたこともあり白夜の夜中0時に、北極に太陽が沈まずそのまままた日が上昇するという現象を目にした。0時にもかかわらずお昼と同じ明るさであった。その位置は、緯度からするとアジア側ロシア大陸最北と同じで、日本付近では体験できそうではない。

     納沙布岬は現状では日本の最東端になる。本州最東端は岩手県宮古市魹ケ崎という。映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台である。次の機会にぜひ行ってみたいと思っている。  

2013年6月5日水曜日

鉄道の旅

デュッセルドルフ駅
動画  ICEからの風景(ベルリンへ)
 ICEからの風景(フランクフルト空港近くアウトバーン3号)
 クレーフェ行きのローカル列車
ハンブルグ駅
 ゲッティンゲン駅
フライブルグ駅  
 スイスの山並み
スイスの湖
イタリア北部マジョーレ湖

  このたびはドイツ、スイス、イタリアを鉄道で旅している。デュッセルドルフからベルリン、ハンブルグ、フライブルグ、バーゼル、ベルン、ミラノ、モンツァ、チューリッヒ、コンスタンツ、ガルミッシュ・パルテンキルヘン、ローテンブルグ、フランクフルト、クレーフェ、ゲッティンゲンなど。

  ドイツの新幹線ICEは主に在来軌道を走っているが、ケルンとフランクフルト空港の間はICE専用軌道が完成しており、時速300km以上で走っていた。特にこの区間はアウトバーン3号線と並行して走っているところが多く昔よく車で通りかかった風景も見ることもできた。

  駐在時代にデュッセルドルフからミラノへは毎週のように出かけていた。ミラノとトリノの中間にあるピエモンテ地方ベリチェリに新工場を建設するプロジェクトの準備のためであった。

  飛行機、あるいは車で出かけているが約800kmあり、日本ではちょうど東京と広島の距離に相当する。この距離は日本では車で10時間以上かかる。ドイツ国内は無制限速度のアウトバーンを使用することから8時間で行くことができた。

  今回初めて鉄道でミラノに出向いた。行きは、バーゼル、ベルン経由、帰りはチューリッヒ経由コンスタンツ着であった。スイスの山並み、湖をゆっくり楽しみながらの旅となった。

  ドイツに戻り再度ICEを利用したが、ICEがドイツ国内のほとんどの地区に普及していたことと、ローカル列車が昔と比べて一新され美しく様変わりしていたことが印象に残っている。

  しかし、乗り継ぎに間に合うか列車の遅れにいらいらしながら、またデュッセルドルフに戻るヴィルツブルグからのICEは遅れるとともにいつ間にかフランクフルトで運行停止になり1時間後の次の列車まで待たされた。なぜなのかと駅員に聞いても Ich weiss nicht.(知らない)とそっけない態度で、腹立たしい思いもした。

  当たり前と思っている日本の鉄道の正確さを認識することにもなったが、遅れが出ているくらいのアナウスのみでほとんど案内のないのも不親切と思う。日本の鉄道はしつこいほどアナウスがあり騒々しいのも問題と思うが。

2013年6月4日火曜日

ノルデナウ

 
 ホテルトメス入口
 ホテルトメス
 洞窟入口
 白アスパラガス
散歩道

  デュッセルドルフから東約150kmのところザウアランド、ノルデナウという村に療養ホテルトメスがある。ここが有名なのは、旧鉱山洞窟から湧き出る水とその洞窟での空気である。いずれも体に良いようで評判となっている。

  ドイツ在住時代、娘のバイオリンの先生であった方が今もエッセンに住んでおられる。ご主人はエッセン交響楽団のホルン奏者であった。このたび久しぶりにご夫妻にお会いし、このノルデナウで時間を過ごした。

  ご主人は同い年でもあり、出身も同郷で、小さいころの京都の話でお互いに共通の話題で盛り上がった。すでにリタイアし自適の生活で、ベルリンに住む娘さん(バイオリニストとして活躍)夫妻のお子さまのお手伝いが楽しみという。今回はご主人の車で案内していただいた。

  ザウアランドには鍾乳洞、森林など日本に近い風景のところが多く、このノルデナウも森の中にある村である。到着後、さっそく洞窟に入り、横になり約20分冷気の感じる空気を吸い込み瞑想の時間を過ごした。何か体が休まる感じである。有名な水(奇跡の水といわれる)を飲み外へ出て、レストランで昼食をとった。

  この時期、ドイツはアスパラ(シュパーゲル)の季節。特においしいのが白アスパラガス。 醤油を持って来れば日本人にとっては最高であるが、バーター味でも十分おいしく味わった。そのあと、近くを散策、このホテルを利用する人は療養休養が目的であるため、周辺の自然の中で散歩もできるようになっている。

  そのあと再度洞窟で時間を過ごしすっかり体がリラックスし、デュッセルドルフに戻った。ご夫妻はドイツ生活40年を超える。日本への帰国はと聞いたところ、今のところ考えていないとのこと。お子様達はドイツ人として育っており、孫の世話もあり当然のことかもしれない。

2013年6月2日日曜日

カルカール

 カルカール市庁舎
 ワンダーランドカルカール
 風力発電所(ヘンネンペル)
 ワンダーランド入口
ワンダーランド遊戯施設

    20年ぶりであろうか、ドイツカルカールを訪れた。デュッセルドルフ在住時は車で訪問しているが、今回は鉄道でクレーフェまで行き、バスに乗り換え町の中心街ラートハウス(市庁舎)前で降りた。この田舎町のラートハウス広場にもレストラン、カフェがある。たくさんの人が日曜日の午後をゆっくりと過ごしている風景を見て、ヨーロッパの人々の日常生活を再度垣間見た。

  20年ほど前ここを訪れた時、この近くにあるワンダーランドカルカールが再び脚光を浴びるとは思いもよらないことであった。福島原発事故の後、原発政策の基本的違いの象徴として知る人ぞ知るという存在である。(http://tsukubanite.blogspot.jp/2011_03_01_archive.html)

  カルカール中心部から4kmのライン川沿いに建てられている。今回は歩いて行くことにした。どこまでも田園が続くが、途中菜の花畑に原子力発電所跡のワンダーランドと風力発電という対照的な光景を見ることもできた。

  ワンダーランドにはホテルも併設され、子供たちの遊戯施設のほか、健康保養施設としてたくさんの人々が宿泊し保養していた。原子力発電所の跡の有効利用として成功しているようである。

  この近くの村、ヘンネンペルの農家には以前はBaustop(建設ストップ)などのスローガンの看板が多く見られたが、すでにそのような足跡はなく、昔ここで原子力発電所反対運動があったことは知ることはできない。この豊かな自然は将来とも受け継がれていくことは間違いなく、福島の現状との落差を再度見せつけられた。

2013年5月30日木曜日

ゲーテインスティチュート

 
 ローテンブルグ駅
 セントマイヤーさん自宅敷地
ローテンブルグ(城郭外から)

  ローテンブルグを最初に訪問したのは1991年7月のことである。駐在員として赴任しドイツ語研修のゲーテインスティチュートに通うためであった。夏休みも兼て二か月滞在、久しぶりの学生気分で過ごした覚えがある。

駐在時代は車での移動であったが、今回はガルミッシュ・パルテンキルヘンからミュンヘンにて乗り換え、ドイツ新幹線ICEを利用し、ローテンブルグへの支線に乗り換え到着した。

  研修の時ホームステイしていたセントマイヤーさんのお宅をさっそく訪ねた。事前連絡しないで行ったが、運よく在宅でお会いすることが出来た。彼は同い年くらいであるが当時は独身であった。その後結婚し奥様も一緒に会うことが出来た。奥様はフランス人で、ゲーテインスティチュートでドイツ語研修に来てセントマイヤーさん宅でホームステイし、それが縁で結婚したとのことであった。

  当時は農業をしておられたが、すでにリタイヤし年金生活である。ローテンブルグのゲーテインスティチュートは廃校になり、自宅の空いている部屋はいろんな人に貸しているとのこと。とにかくお元気で悠々自適の生活を二人で楽しんでいおられるようであった。

  ローテンブルグも久しぶりであったが、昔と変わりなく観光客でにぎわっていた。ここも日本人団体旅行の方々のみならず中国、韓国の観光客が多く、昔との違いを見せていた。

2013年5月28日火曜日

ツークシュピッツェ

 ガルミッシュ・パルテンキルヘン駅
 ドイツアルプス
 ツークシュッピツェ山頂
 ツークシュッピツェ山頂
 ツークシュッピツェ山頂
 ツークシュッピツェ山頂(オーストリア国境)
ジャンプ会場

    5月末にもかかわらずヨーロッパは寒く冬の衣装が離せない。それに加えて天気が良くない。ドレスデンなどドイツ東部ではホッホバッサー(洪水)の被害も出ている。イタリアでさえ寒くてコートをずっと着ていたそんな中、昨日オーストリア国境に近いガルミッシュ・パルテンキルヘンに入った。その寒さは続いている。

  しかし本日は寒いが良い天気になった。ただ夕方からは曇り空になるとことで午前中にツークシュッピツェに登ることにした。登山電車とロープウエイで標高約3000mのドイツ最高峰に降り立った。当然雪の世界であるが、スイスアルプス、日本の立山と同じ光景であった(http://tsukubanite.blogspot.jp/2010_05_01_archive.html#4862800663055605270)。 

   気温は0℃くらいで、さらには酸素も少なく動きは鈍くならざるを得なかった。頂上にはオーストリア側からも到達でき、昔は頂上でパスポートチェックが実施されていたとのこと。

  午後には山を下り、オリンピック会場跡、ガルミッシュ・パルテンキルヘンの旧市内を見て回った。特にジャンプに関しては毎年大会が開かれており、1997/1998はFUNAKIが優勝者との記載も見られた。夕方には頂上付近に雲がかかり見えなくなってしまった。つかの間の晴天でラッキーな一日となった。