2014年3月14日金曜日

ポストドクター

(単層CNT融合新材料研究開発機構資料)

   昨年まではカーボンナノチューブ(CNT)研究の仕事に関わっていた。(http://tsukubanite.blogspot.jp/2010_08_01_archive.html#1825669021090785043、http://tsukubanite.blogspot.jp/2010_09_01_archive.html) このとき100名に近いポストドクター研究員を雇うべく多くの候補者の面接をしたことがある。主に博士論文について聞くのであるが、さすが東大、東京工大などの一流と言われる国立大学出身者の研究論文は博士に十分値する内容であった。しかし私立大学については残念ながら博士研究とは程遠い内容のものが多かった。特にひどいのはただ実験してその結果をたくさん並べるだけでその現象結果についての考察が稚拙なもので、修士どころかせいぜい学部卒業論文に近い内容である。それでも博士号として認定され、堂々と応募してきていた。

  いまSTAP細胞発見者がその論文の問題点を指摘されている。STAP細胞の発見自体が疑われるのか今のところはっきりしない。論文の中の写真、記述に他の論文の流用あるいは改変疑惑があるようである。そしてその影響はご自身の博士論文にまで波及し、他人の論文内容がそのまま採用されているという。

  もし引用文献を記載するならそのところにしるしをつけて最後のレフェレンスで引用した文献内容を書くのが論文作成のイロハである。引用ではなく自分の論文として載せたきらいがある。ミスとの釈明であるが、作為的であった感じもある。博士課程での教育の中で論文の書き方もしっかり教授すべきで、ふつう学部卒業論文の時に論文の書き方のイロハを勉強するものである。私立大卒といっても私大の中ではトップの大学であるにもかからわず、この辺の教育ができていなかったのではないか、それとも本人の倫理感欠如による確信犯なのか、理解に苦しむところである。

  日本は欧米に比べて私企業で活躍するドクターが少ないとの指摘があり、この30年ほどドクターコースが増設され、ポストドクターが増えた。私企業ではまだまだドクターを大量に採用する方向ではないため就職できないドクターがあふれている。就職率は40%くらいとの話もある。結局このような人が期限付き研究職の募集に殺到しているのが現状である。

  それに加えて、今では海外からの応募も多く、これら海外からの応募者は非常に優秀な人のため日本人と競合している。今回の事件はドクター乱造の弊害の一端が現実化した事件のようである。このようなドクターの質の低下はますます一般企業がドクターを敬遠する一因になるのであろう。ドクターのみならず現在は大学の乱立により大卒自体もそのレベルが低下しており、昔の公立高校卒業生の方が優秀であったと思うのは私だけであろうか。

  話題のリケジョは我が娘が学んだ大学・大学院の後輩でもある。我が娘もリケジョとして企業で毎日仕事に忙しいようだが、日々の業務を全うしているのか気になるところである。

2014年3月10日月曜日

カルテット

千代田区立スポーツセンター音楽室
我が家のピアノ 

   合唱の楽しみから離れて50年弱、時たまカラオケなどで歌うだけの生活であったが、今年に入って男声4人のカルテットの練習を開始した。長年勤めた会社の同僚からの提案で、同僚のメンバーでうまくトップテナー、セカンドテナー、バリトン、バスと揃うことになった。

  学生時代は合唱活動をしていたが、職に就いてから時間が取れず遠のいていた。30歳の時東京転勤になり、さっそく東京文化会館で活動している東京都民合唱団のオーディションを受けた。OKとなり次回練習から来てくださいとのことであったが、出張が入り最初から欠席となった。しかしその次も出張、また次もといういことで結局練習に行けず退団せざるを得なくなった。

  その後は諦めていたが、ドイツ在住の時、日独合同第九演奏会がありその合唱団の一員として唯一歌う機会が持てたに過ぎない。今回久しぶりに歌ってみて、もともとバスであるが低音が昔ほど響かない。むしろ高音の方が出やすく、最初バスを担当するつもりであったがバリトンに変更した。トップテナー、バスの2人は学生時代から、就職後も合唱活動をずっと続けておりうまいものである。セカンドテナーも今はシャンソンを習っているとのことで慣れている。それに反し私はほぼ50年ぶりということで少々手間取っている。

  4人は中央沿線、横須賀沿線、つくば沿線など住むところがバラバラであるため、集まるのは都心が便利である。それで、東京都千代田区スポーツセンターの音楽室を借りての活動である。今のところ月に1回の活動であり、曲は古典コラール、日本の歌、ポピュラー曲、男声組曲など。スタートしたばかりでこれから練習をこなす必要があるが、楽しみながら活動したいと思う。

  合わせて、ピアノも長い間遠のいていたが、再度トライしている。昔は何とか子犬のワルツも弾いていたが、若いときでさえ周りからは子豚のワルツと皮肉られていた。今ではそのレベルさえも弾けない。せめて子豚のワルツのレベルに戻るべく練習を開始している。

2014年2月15日土曜日

リノビール

玄関廊下(左・引き戸、右・新しい棚) 
新しい台所 
長さ11mの空間 

   東京自宅マンションはすでに建てられて33年が過ぎた。金属製クローゼットドアが壊れたり、壁、扉が汚れたり、お風呂にカビが生えたり腐っているところもあり、かなり古びてきた。そこで昨年夏から Do it yourself でリノビールしてきた。最後に残っていた台所の更新を業者に頼みようやく完了した。

  まずは和室のふすまを張り替え、風呂場の腐っているところの修理をして塗装をし直した。クローゼット棚の代わりに新たに白い木製の棚を購入し入れ替えた。また東側洋間とダイニングリビングルームの間の壁を取り払い一部屋として長さ11mの大きな空間とした。東側洋間の入口扉は開き戸で使いにくいため引き戸に改造した。そして床の修理をして、柱、扉の色をすべて塗り直した。

  最後に台所を入れ替えることにより、これで家が新しい装いになった。マンションは50年が寿命といわれている。あと20年ばかりとなる。それまでに大地震が来て住めなくなることもあり得る。とにかくマンションの建て替え、あるいは売却までの間、このままの状態で生活できるものと思う。

  ところで台所工事中は東京自宅で立ち会ったが、世の中報道はオリンピックと偽作曲家の話題でいっぱいである。オリンピックは競技前マスコミはメダル確実との雰囲気づくりの報道ばかりあるが、終わってみると結果はメダルには程遠いケースが多いようである。今のマスコミの報道が日本標準であっても、世界標準ではないということではないかと思う。客観的な世界標準の目で見れば、競技前からメダルには程遠いということが分かっていることが多いようだ。

  偽作曲家は詐欺師そのものであるが、その事実をきちっと調べずにそれを特番扱いしたり、特別演奏会を催したり、CDを発売したり、などマスコミなどの報道はますます信頼することが出来なくなっている。

  スポーツ、芸術の場合、このような日本標準的報道はそれほど気にする必要もないかもしれないが、社会・政治・経済などの世界では大きな問題である。報道される日本の常識が世界の非常識になることが多い今日この頃である。

  本日羽生選手が金メダルを取った。世界標準で事前評価を受けていた数少ない選手であった。さすが世界標準で報道されている人は、期待通りの成果を出して感動を与えてくれる。

2014年1月8日水曜日

ノイス・ホンブロイッヒランゲン美術館

美術館全景
美術館への道
美術館入口
門
玄関
ランゲン財団の表示
日本室
廊下
展示室
スロープのある展示室
スロープのある展示室
庭への階段
何故か犬が !

  デュッセルドルフの隣町、ノイスは文化活動に熱心な町である。中心部にある美術館には浮世絵が多数保存され時に応じて展示会を実施している。

  このノイスの市街から離れた広大な平原にランゲン美術館がある。有名な安藤忠雄設計の建物である。いままでも安藤忠雄さんについてはいろいろな記録を書き残している。本日その美術館を訪れた。

  内部構造は表参道ヒルズの内部に使用されているようなスロープが配置されており、コンクリートの打ちっぱなしとガラス、金属による構成は安藤建築そのものであった。ランゲン氏は日本にも大変興味をもっていたとのことで、日本の収集品のために日本室もある。今回は特別に現代の作品を展示していた。このほか、モンドリアンなどの近代の作品を展示していた。

  2年前、アメリカ・マサセッチュ州の美術館を訪れた時増設工事中で、その設計は安藤忠雄と説明があった。もうすでに完成してることと思う。また機会があればぜひ行ってみたいと思う。(http://tsukubanite.blogspot.jp/2011_12_01_archive.html#8760764850198347777)

2014年1月5日日曜日

ドン・ジョバンニ

オペラが終わって

  モーツアルトといえば、映画「アマデウス」で今まで描いていたモーツアルトのイメージがまったく変わってしまった。簡素な響きが心に気持ち良く、それまではこのような音楽を作り出す人はさぞかしもの静かで思慮深い紳士と思っていた。

  実際には、特に色恋が好きな人であったようだ。ドン・ジョバンニのオペラもそのようなひととなりから作られたものと納得がいく。スペインのドン・ファンの話で、いろいろな女性をもてあそぶが、最後は罰で地獄に落とされるという話である。

  モーツアルトの音楽はバックグラウンドミュージックとして最適といつも利用させてもらっている。このオペラでも音楽はモーツアルトらしく穏やかな曲が続き心地よく聞いていられる。ドン・ジョバンニが地獄に落とされる場面は劇的に音が奏でられるが、最後の場面も流れるような音が続き幕となる。

  今回のドイツ滞在でのオペラはこれが最後である。またの機会を楽しみにしたい。

2014年1月4日土曜日

モルダウ川

 
モルダウ川とクルムロフ城
ライトアップされたクルムロフ城
クルムロフ城から
モルダウ川と旧市街
モルダウ川の鴨のつがい
クルムロフ城の塔
クルムロフ城の橋
旧市街
泊まったホテル(モルダウ川 に沿って建つ)
昔のホテル廃墟
田舎の建物
ボヘミア平原
アウトバーン3号線の大渋滞

   モルダウといえばチェコの作曲家スメタナの「わが祖国」の有名な曲の一つである。駐在時代最初にチェコを訪れたのは1993年8月、家族旅行でのことであった。車でドレスデンからチェコに入ったが、当時はビザが必要であった。国境でビザはすぐにとれ、ボヘミヤ平原をドライブ。そのバック音楽にはカセットテープの「わが祖国」をかけていた。ボヘミヤの自然をそのまま表現しており、視覚とのマッチングがすばらしくスメタナの凄さを感じた。

  その後も首都プラハのみならず、ピルスビール発祥の地プルゼニ、メンデルが遺伝の法則を発見した修道院のあるブルーノ、それにチェコの繊維産業の地リベッレック、タボールなどチェコでの工場建設調査のためほとんど全土を車で駆け抜けている。ほぼ20年ぶりに車でチェコに赴いたが、すでに国境はなく自由に出入りができる。駐在当時はまだそれほど有名ではなかったチェスキー・クルムロフを訪問した。

  古い街並みがどこをとらえても絵になる町である。町の大きさに比べてお城が大きく、特に夜ライトアップされたお城は幻想的である。旧市街を取り囲むように流れているのがモルダウ川である。パッサウに近いドイツ国境近くを源流として、このクルムロフを通り、プラハに至り、ドイツではエルベ川としてドレスデンに流れる。その源流の一滴から、ボヘミヤ平原を流れるさまを音楽にしたのがスメタナである。チェコの母なる川ということである。

  20年前に比べて道、建物も美しくなっており歳月を感じた。車についてはチェコにはシェコダという自動車メーカーがあり、20数年前は角ばった古臭い車を生産していたが、今ではフォルクスワーゲンの資本が入りデザインを一新している。ところどころでは旧来のホテルが廃墟になっており、古い田舎の建物など昔の名残りも見られた。
   
  初日はデュッセルドルフからの移動、2日目は晴天に恵まれ市街をゆっくりと散策、そして本日クルムロフからドイツパッサウに近い国境を越え、アウトバーン3号線で戻った。

  3号線はドイツ北西部オランダとの国境からウィーンを結ぶドイツの大動脈である。ウィーン方面からの車で、フランクフルトまでは大渋滞。3時間もよけいにかかった。今まで、事故、工事による渋滞には何度も遭遇しているが、これほどの自然渋滞は初めてであった。年末年始休暇のUターンのようである。往復1600kmのドライブであったが、今借りている車では210kmが最大速度であった。

2013年12月31日火曜日

ジルベスタ コンツェルト (大晦日コンサート)

ヨハネス教会
教会内
2階席とパイプオルガン
新年の花火(オーバーカッセル橋から旧市街を見る)
ゼクトで新年を祝う(オーバーカッセル橋)
 
  今年も最後の日となった。午後のひととき、YOUチューブで第九を聴いた。1979年カラヤン、ベルリンフィルが日本に来たときの実況録音である。アナログ録音なのか、今のデジタルの鮮明な音と異なる。毎年恒例の日フィルの生の音ではないが、今年も年末に何とか第九を聴くことが出来た。

  年末の最後の楽しみは教会での ジルベスタ コンツェルト。夕方からデュッセルドルフの市街中心にあるヨハネス教会へ出かけた。曲はオルフ作曲のカルミナブラーナ。もともと中世期のラテン語による詩集に1937年に曲をつけたもの。独唱、コーラス、管楽器、打楽器、ピアノからなる。特に管楽器、打楽器の響きが教会内をとどろかせた。残念ながらパイプオルガンの音は聴くことはできなかった。

  聴きながら今年を振り返った。

  リタイア後に依頼された仕事も終了し、時間が自由に使えることになった。結婚後40年でもあり、記念に春にはドイツへ出かけた。夏場は30年を過ぎた東京の自宅マンションのレノビールを自ら Do It Yourself でやり、新しい装いになった。あとは台所のやり替えを業者に頼むだけになっている。晩秋からは再度ドイツの生活を楽しんでいる。

  ドイツで日本のことを一時的に忘れることが出来るが、災害、原発事故、財政赤字、気になることばかりである。これからの世の中、その時代の権威者から発信される情報はますますあてにならないことが明確になってきた。物事の判断には、それぞれの個人がインターネットなどいろいろな方法を駆使して、全世界の的確な情報を自ら広く集めることが必須の時代になっている。今年はその思いを募らせた年でもあった。

  コンサートが終わり家で休憩の後、ライン川にかかるオーバーカッセル橋に向かった。橋にはたくさんの人が集まっており、すでに爆竹がなっている。そして、0時には花火が一斉にあげられた。ゼクト(発泡白ワイン、ドイツのシャンパン)、ビールなどを飲みながら新年を祝っていた。