2011年10月1日土曜日

プッチーニの「ボエーム」

ホームシアター
ブタペストオペラハウス

  ヨーロッパ駐在時代の楽しみの一つがオペラであった(ヨーロッパ駐在日記、1993年4月 イースター休み 、1995年6月 バルトブルグ城 、1995年10月 ヴェッツラール、1996年12月 ヘンゼルとグレーテル 、1997年2月 神々の黄昏 )。住んでいたデュッセルドルフのオペラハウスのみならず、ウィーン、ミュンヘン、エッセン、クサンテンのローマ遺跡劇場、ブレゲンツ湖上劇場など各所を訪れオペラを楽しんだ。

  さらには、ハンガリーをドライブしたときブタペストオペラハウスの当日券を購入し見ることが出来た(1994年8月、グラーシュズッペ)。ブタペストオペラハウスはパリのオペラハウスに匹敵する豪華な内装で飾られている。曲はプッチーニ「ボエーム」であった。

  本日午後の昼、アメリカメトロポリタン歌劇場の実況ビデオ、ボエームの全編を久しぶりに我が家のホームシアターで楽しんだ。日ごろは見られない幕間の舞台裏の状況など、今までの知らない場面も知った。

  貧しい芸術家が体の弱い娘と恋に陥るがその娘が病のためなくなるという、話の内容自体はどこにでもある恋物語である。しかし、オーケストラと迫力ある声量との組み合わせで人々を感動させる。娘ミミがなくなる最後のシーンは劇的に演出されており大きな画面と音量のおかげでオペラの楽しみを満喫した。

  デュッセルドルフ時代はすぐ近くにオペラハウスがあり、忙しい仕事の日々の中時間が空いたときふと見に行ったものである。気軽に見に行けることが娯楽というものと思う。日本では、寄席、映画、カラオケなどはこの部類に入ると思う。残念ながらオペラはそうは行かない。暇なときにふと気楽に行けるというものではない。

  しかし、いまではホームシアターがあり、DVDを買い集め大きな画面と迫力ある音でオペラのみならず、ミュージカル、映画も楽しんでいる。

2011年9月3日土曜日

ルノワール「コンサートにて」


      「コンサートにて」を所有する
      Sterling & Francine Clark Art Institute
      (Williamstown, Massachusetts, USA)

この8月、次女の誕生会は時間が合わず延び延びになっていた。今多摩川近くの川崎に住んでいるが夫婦で勤めていることもあり忙しい毎日のようである。ようやくお互いに時間の都合がつき婿殿も一緒に東京自由が丘で食事することになった。二人とも元気で何よりであった。

次女が生まれたとき二人の娘にふさわしい絵画はないかと捜し求めた。誰の作とも知らず購入したのが「コンサートにて」の複製画であった。晩年のルノワールが描いたふくよかな女性の絵とはあまりにも趣が異なっている。東京、ドイツ、神戸、広島、つくばと転勤ごとに我が居間を飾ってきている。この3月の大地震の時には落下し額縁が破損したが修理し今も健在である。

ドイツ時代にはその本物に出会いたいとヨーロッパ各所にある美術館を訪れ探したが出会うことはなかった。美術書を調べあげてようやくアメリカのマサチューセッツの山間の美術館にあることを突き止めた。そして、アメリカ出張の際日曜日を利用して訪問した。しかし、残念ながらちょうど改修工事中のためこの絵だけは倉庫に保管され見ることはかなわなかった。(ヨーロッパ駐在日記、ウィリアムズタウン)

その1年後、今度はプライベートでアメリカ旅行し、ようやく本物に出会うことが出来た。色彩鮮やかで黒のドレスと花の赤色が映える。たたみ1畳くらいの大きさで迫力がある。とうてい複製画ではその迫力を味合うことはできない。とはいえ、この複製画は今までの娘たちの成長の過程と重なり合い、日々心を和ませてくれている。

2011年8月28日日曜日

我が畑のひまわり









     市場で売られるひまわりの実(ポーランドにて)

この夏、我が畑にはひまわりのみ植えた。種から苗を作りそれを畑に植え替え8月には立派に花が咲いた。ヨーロッパ時代ハンガリーをドライブしたとき走り続けてもどこまでもひまわり一面の畑を思い出す(ヨーロッパ駐在日記、1994年8月、グラーシュズッペ)。夏の暑いときの象徴の花である。

まもなく種が取れるが、これもポーランドをドライブしたときに大きな枯れたひまわりの実が売られていたのを思い出す(ヨーロッパ駐在日記、1996年8月、子犬のワルツ)。その種を食用にするのである。

この福島原発事故以来せっかくの自家栽培の野菜も食べる気にはならない。我が畑にはひまわりに続いてすでにコスモスの種を地下播きしたが雨が少なかったためか芽が出るか不明である。 いずれにしても家庭菜園も意味がなくなり、この秋をもって地主に畑を返すつもりである。もし西日本地域に住むことになればまた再開も考えたいと思う。

2011年8月12日金曜日

京都西山善峰寺



             遊龍の松

         善峰寺からの京都市内の眺め

この春には京都西山花の寺を訪問しているが、その近く南の西山麓にある善峰寺に赴いた。京都西地区の新しい住宅地を抜け田園風景の先、山に入り込んだところにある。子供のころ花の寺から西山のハイキングコースを歩きその終着がこの善峰寺であった。山から下ってくると有名な地に這う松、遊龍の松にたどり着き、そこからの京都南地区の風景を眺めて帰宅の途についたものである。

天然記念物である遊龍の松は健在であった。今ではこの境内は入場料を払わないと入れない。昔はハイキングの通り道なっており自由に出入りできていた。山門入り口には大きな駐車場が出来ておりこれも有料である。時代の流れだろう。

この寺は西国巡礼二十番札所の寺であり、今では車で来てお参りする人が多いのであろう。しかし、京都の他の寺院に比べて観光コースとしてはそれほど知られておらず、出会う人も数人で静かに過ごせるところである。若い女性が一人でお参りし、そのあとバス停で一人バスを待っている姿がこの清閑な場所の印象として残った。

2011年8月11日木曜日

尾道御調の茶話駄(さわだ)



茶話駄玄関

もりそば

サラダそば

  つくばに住みだしてからも茨城近辺のいろんな場所でそばを食しているが、一番は尾道御調の茶話駄(さわだ)と思う。広島は三原に在住時代からその美味しさに機会あるごとに訪れているが、今回夏休みのドライブの際に立ち寄った。

  茶話駄は尾道山間部にある町、御調町の小さな山の麓にあり、その場所からは川沿いの小さな盆地が望める。春にはその玄関前の桜が花を添える。営んでいる老夫婦が暖かく迎えてくれた。

  いつものそば三昧をいただいた。もりそば、サラダそば、仕上げはそばがきぜんざいである。手打ち十割そば自体の味わいと共にそのそばつゆが美味しい。広島豊平達磨の高橋名人と同じような味わいであるが特にそばつゆにはこくがある。冬場はにしんそばもあり暖かいそばで食べたこともある。

  ご主人に、2年前に我が畑で栽培したそばがあるが殻をどうとるか思案している間に今に至っているとの話を持ち出した。即座に、殻を取るのは専門に任せないと出来ないとの回答。早速茨城近辺の専門業者を教えてくれた。コンタクしそば粉に仕上げそば作りを再度トライしたいと考えている。

2011年7月17日日曜日

大涌谷からの富士



          (駒ケ岳からの富士)


     (カステルモーラからのエトナ山/イタリアシシリー島)

富士教育研修所から16kmで芦ノ湖湖尻についた。まずは船で芦ノ湖を遊覧、途中船を下りて駒ケ岳に登った。ロープウエーで7分ほど。頂上からの景色は真下に芦ノ湖、右遠くに駿河湾、左に湘南が見渡せる。そして富士山も雄大な姿を見ることが出来た。

その後大涌谷に向かった。途中道は大渋滞であった。箱根は中学の修学旅行、東京に住みだしてからも何度も訪れているが、大涌谷は修学旅行以来であった。昔と変わりなく硫黄の臭いで覆われていたが異なるのは中国を初め外国からの訪問者が多いことではないかと思う。

ここからの富士山も雄大であった。イタリアシシリー島のカステルモーラからのエトナ山と同じような光景であった(ヨーロッパ駐在日記、1997年1月、エトナ火山)。しかし、エトナ山よりやはり富士はその美しさに魅了される。

2011年7月16日土曜日

富士教育研修所



       (富士教育研修所からの富士)

久しぶりに富士の麓、裾野にある富士教育研修所に泊まることになった。この研修所は勤めていた会社の研修所であるが、一般にも開放しいろんな研修に使用されてきた。さらには最近は研修のみならず一般の宿泊施設としても利用されている。

会社での色々な研修、他の教育団体による研修、学会のシンポジウムなど何回となく寝泊りした経験がある。海外からの人たちも宿泊できるよう当初から各部屋にある湯船、ベッドは大きく最初はその大きさに驚いたものである。

ここから見る富士山は迫力がある。真前に迫ってくる。敷地内にはグランド、テニスコート、ミニゴルフ場もあり休憩時間にはスポーツも楽しめるようになっている。

すでに建てられてから40年以上経っており、今までも補修してきた形跡は見られるが、近くで見ると昔の美しさはない。しかし、少し離れれば建物の立派さは今も健在である。

久しぶりに箱根に行くことにしたがホテルがとれず、ここで泊まれることを思い出し予約した。泊り客は他に2組あったが館内は静かでゆっくりと過ごすことができた。明日は箱根をドライブする。