2010年1月16日土曜日

成田山新勝寺


7年前の1月に東京自宅マンションの駐車場の順番がようやく回ってきて車を持つことになった。マンション購入時に駐車場の抽選に落ちたことから順番待ちだった。その後妻も運転免許を取りその車は妻専用車になっていた。つくばに住みだして私が暇になったことからほとんど私の車に便乗することなり妻が運転することがなくなった。ということで車検の期日にあわせて妻専用車を売却した。

この車、東京、広島は三原、つくばと場所を移しての運転であった。7年で走行距離36000kmで、つくばに来てからはほとんど走っていない。たまに4~5人の訪問者の場合2台の車で送り迎えする時と、車検など検査のときにやはり2台で行き車を預けて帰るときなど僅かな機会であった。昨日売却し手放すと、思い出が浮かび何かさびしいものを感じる。

この7年の間に一度トラブルがあった。東京は谷中の寺院が連なっている細い道で自転車に乗った子供が飛び出してきた。幸い最徐行していたので車にはぶつかったが打撲だけですみ大事には至らなかった。しかし車のボンネット横側はへこみ保険で修理したという経験をしている。

このように大きな事故もなくすんだのは、購入時お払いを受けた成田山新勝寺のお守りの賜物と感謝する気持ちもあり、今日はそのお守りを返すために出かけた。つくばからは国道で約1時間半である。お守りを返しお参りもした後、成田山新勝寺内をゆっくりと散策した。もう1月も半ば過ぎたが結構初詣の方々も多く賑わっていた。見上げると時たまジェット旅客機が寺院の屋根越しに青い空の中を通り抜けていく。小高い境内からはふたこぶの筑波山も望むことが出来た。

大学生のころ父が乗っていた車はフォルクスワーゲンビートルであった。19歳にして運転免許をとり父の車を運転していた。空冷エンジンでブルブルと結構大きな音を立てて走っていたように記憶する。その後他の車に乗り換えているが、生産中止になったこともありビートルの中古車は購入価格の倍くらいの値段で売れたと聞いている。いまでも旧ビートルは大変人気がありプレミアがつくという。しかし、今回のニュービートルは残念ながらそのようなプレミアがつくことはなかった。

2010年1月5日火曜日

自宅からの日光男体山

この正月は天気がよく自宅からは富士のみならず雪の日光男体山もきれいに望むことができた。思い出すに、初めて日光を訪れたのは27年前の秋であった。文化の日の休日だったように記憶する。家族で浅草から東武特急に乗り日光に向かっている。

東照宮から中禅寺湖におもむき、華厳の滝も初めて見学し、中禅寺湖付近からは雪のない雄大な男体山も見ている。また秋のみならず、春、夏にもドライブし、いろは坂、戦場ヶ原、奥日光なども訪れて、それぞれの季節の趣を味わっている。車で行く場合、紅葉シーズンは渋滞で時間がかかることから逆方向の群馬県側からもドライブを試みたことがある。結局奥日光手前から渋滞で同じことであるとの経験もしている。

終の棲家を探していたとき、その候補の一つが日光付近の土地であった。有名な日光杉並木街道に近いところで、まわりは田園風景の自然豊かな場所であった。結局断念したのは、年老いたときに生活が容易かという点で、一戸建てでは難しいと判断した。東京との行き来が楽で比較的便利で、しかもバリアーフリーで気楽に生活できるということで今のマンションにした次第。

日光を初めて訪れたときは子供はまだ小学と幼稚園。忙しい仕事の合間の家族日帰り旅行の楽しい思い出として記憶に残っている。これからもつくば自宅からは雪の男体山を見て楽しむと共に、また日光は比較的近いこともありいろんな季節に何度となく行ってみたいと思っている。

2010年1月4日月曜日

蚕影神社近くからの筑波山



つくばに住み始めて幾度となく筑波山に来ているが、旧筑波街道の筑波山のふもと田井地区にくるたびに気になっていたのが蚕影(こかげ)神社という道路標識であった。いつもは時間がなく立ち寄ることはなかったが今日はこの神社を訪れることだけを目的に出かけた。

田井地区に入ると右に折れる道があり蚕影神社との表示がある。左手真近くに筑波山を見ながら蚕影山という小さい山に向かって走るとその突き当りが蚕影神社の入り口であった。そこにはおばあさん一人で対応しているお店がある。そこから参道と思われる階段があり登っていく。初詣のつもりであるが人の気配はない。階段の途中には廃墟と化した土産物屋跡のような建物があるが手入れがほとんどなされていない。この山の中ほどに神社本殿と絵馬堂があった。その周りは木々で覆われ、年老いたおじいさんが一人散歩しているのみで全くの静寂の世界であった。

本殿のかわらには「蚕」の文字が刻まれており、この神社は蚕に関係していることがわかる。お参りした後、その参道階段入り口にあるお店に立ち寄った。おばあさんからこの神社は日本全国にある養蚕信仰の元であることを聞いた。養蚕産業が衰退して久しいが、養蚕全盛期には養蚕の神様として全国からたくさんの人の参拝があり、このお店も宿泊できる施設として賑わっていたそうだ。今ではお守り、土産物などの販売を細々と営んでいるようで、その当時の賑わった時代のことは想像できない。唯一の話題として、昨年公開された役所広司監督主演の「がまの油」という映画のロケが行われたとの事でその写真を掲示していた。さびれた雰囲気ということで選ばれたそうである。

養蚕産業は戦前の日本の外貨獲得の源で、日本発展の財源の元になった。蚕の繭から作られる絹糸はアメリカでは靴下として愛用され女性の足元を飾った。アメリカで発明されたナイロンはこの絹糸に対抗するものとして発明された。その対抗意識は日本養蚕業の元締めである農林省のNolynを反対につづりNylonとしたとも言われている。

この神社を信仰する人が少なくなり境内は荒れ放題である。蚕という生き物を絹糸以上の使い道、たとえば薬などのような付加価値の高い物作りが出来て初めて再興が出来るのであろう。昔国立大学に養蚕学科があり蚕の研究をしていた。今ではその学科はなくなり最先端の生体分子工学・応用生物学科となり遺伝子工学などの研究がなされている。近い将来その研究が花開き、再度養蚕業が日本の産業の一旦を担うようになればよいが、と思い巡らしつつ帰宅の途についた。

2010年1月2日土曜日

筑波山神社



  大晦日には自分で栽培した蕎麦を使って年越し蕎麦を味わう計画であった。蕎麦の実を摘み取りすぐにそば粉まで仕上げたかったが、その後の畑に小麦の種を蒔くことを優先して蕎麦は結局摘み取ったままになっている。大晦日になって常陸秋蕎麦の新そば粉を購入し手打ちの年越し蕎麦を味わい新年を迎えた。

  昨年は喪中でもあり新年の初詣は差し控えたが、新たな年になりつくばで初めて初詣に出かけた。筑波山のふもとから車はのろのろ運転になり一時間の渋滞の後ようやく筑波山神社に着くことができた。本殿に至る階段のところから参拝者の列が出来ており、いつもはわずかの人しか見かけない雰囲気とは全く異なる様相である。両サイドの参道には所々に出店があり筑波名物がまの油、がまの置物などを売っている。

  本殿の軒先には今まで見たこともないような大きな銅製の鈴があった。しかし参拝するときに鈴を鳴らせるようにはなってはいなかった。かしわ手を打って今年も健康でいられるよう願った。破魔矢を購入し駐車場に戻ったが、すでに夕暮れで山を下る途中夕日に映える富士山も見ることが出来た。

  この11日にはコーラスグループのデュークエイセスが活動55周年記念のCDアルバムを発売するという。その昔、日本の歌というレコードアルバムを出しており、学生のころその中の筑波山麓男声合唱団というガマガエルの歌をよく聴いたり歌ったりしていた。当時まさかそのつくばに住むとは考えていなかった。そのレコードはどこかへ行ってしまって手元にはない。その曲が入っているとのことでぜひ購入しまた聴いてみたいと考えている。
 
 
  新年早々、摘み取った蕎麦の実からそば殻をとり粉引きまでの作業が残っている。また大豆もさやに入ったままになっている。僅かながら刈り取った稲穂もある。余った大根はたくわんにすべく年末に漬物樽に仕込んだ。来月には食べごろになるのではないかと期待している。今年も食するものを自分で作る楽しみを続けたいと思う。

2009年12月27日日曜日

利尻富士と宗谷岬



恒例の第九交響曲を聴きに出かけた。つくばから常磐道を通り東京自宅に入り、車を置いて地下鉄千代田線で六本木サントリーホールに向かった。昨年は常磐道から雪の富士山を見ることが出来たが今回は晴天とはいえ霞がかかり残念ながら見ることが出来なかった。コバケンこと小林研一郎指揮の日本フィルハーモニーの演奏会である。

コバケンは現在オランダのアーネムフィルハーモニーの常任指揮者であるが、日本に帰国しての指揮であった。このアーネムフィルハーモニーは勤めていた会社がスポンサーになっていることもあり、この春日本で演奏会があったときにも聴きに出かけている。この時もコバケン指揮、サントリーホールであった。最前列で指揮者の真後ろということもあってコバケンのうなり声とともにその迫力に圧倒された。今回は中ほどの席ではあったが時たまそのうなり声もかすかに聞かれた。迫力と共に叙情的な美しい表現も堪能させてもらった。

聴きながらこの一年の出来事を思い浮かべた。記憶に残ることといえば、三回目の北海道旅行である。子供が小さいころに道南をドライブ、ドイツから帰国直後に道東をドライブ、そしてこの夏は道北をドライブした。大洗からフェリーで苫小牧に入り、名寄、サロベツ湿原、礼文島、利尻島、稚内、宗谷岬、紋別、サロマ湖、旭川、積丹半島、函館、そして青函フェリーで青森へ、奥入瀬渓谷、十和田湖を経て東北自動車道、常磐道でつくばに戻った。

日本には富士山の形に似た山がたくさんあるが利尻富士もその一つで印象に残った。日本最北端宗谷岬、その先の樺太は見えなかったがすぐそこはロシア。紋別ではロシア人を結構多く見かけ地理的にロシアが近いことを実感させられた。昔道南をドライブしたときに行けなかった積丹半島にも足を伸ばし積丹ブルーの美しい海も楽しませてくれた。ドライブ距離約2500kmの旅であった。

ドイツ時代の知り合いの方が現在北海道はニセコ近くの欄越町に住んでおられ白アスパラガスを栽培しているとの情報もあった。ドイツ時代唯一の美味、白アスパラガスを思い出し(バルベック/ヨーロッパ駐在日記 )、次回はアスパラの季節にもドライブしたいと思う。

今年もあとわずかになった。この一年も無事に過ごせたことを感謝しつつ、来年もこの恒例の第九交響曲が聴きに行けるよう願っている。

2009年10月3日土曜日

我が蕎麦畑

この7月、近くの農家から約100坪の農地を借り家庭菜園をやりだした。8月の盆あけに蒔いた蕎麦の花が今満開になっている。昨年来自分流のやり方で蕎麦打ちをしているが畑を借りることになり、原料からすべて自作で出来ないかトライすることにした。

種を蒔いてしばらくすると芽が出て、借りた畑の2/3は一面蕎麦畑になった。近くを通りすがった農家の方が、まだ若芽の間に間引きして湯がいて御浸しにするとおいしいよと教えてくれた。食べてみるとなかなか美味しいものであることも初めて経験した。間引いた若芽も無駄にすることなく食するという農家の方の生活の知恵というものなのだろう。

家庭菜園をするとは考えてもいなかったが、雑誌でダンボールコンポストの記事を目にして我が家でもやってみようと思ったのがことの始まり。この3月から家で出てくる生ごみはダンボールコンポスト器に入れ毎日攪拌し処理し続けた。5月ころには生ごみは分解されコンポストが完成、1ヵ月ほどねかせると肥料が出来た。それでこの肥料を有効に使うべく、野菜を購入している農家に使って下さいと申し入れた。しかし肥料は決めたものを使っているとのことで断られたことから、捨てるのももったいなくそれなら自分で使うことを考えることにした。そして近所の何軒かの農家の方を訪れて交渉し畑を借りることになったもの。

休耕地であるため雑草で覆いつくされていた。草刈し、農機具屋から小型耕運機を借り耕し、畑として使えるようになったのは7月の下旬。まずは約10mほど一畝分だけの苗を買い込み植えた。青葉、ツルムラサキ、オクラ、きゅうり、ゴーヤ、なす、トマト、シシトウ、ピーマン、春菊、ミョウガなど。この夏は毎日のように自家製の野菜を食べ堪能した。

蕎麦に続いて、残りの畝には大根、にんじん、九条ねぎ、にら、玉葱、白菜、キャベツ、ほうれん草、小松菜、大豆などの種を蒔いた。すでに芽を出し緑の畑に変貌している。一番最初に蒔いた大根は立派に成長し、収穫して大根ステーキなどして美味しくいただいている。7~80本近くは採れそうで食べきれないので近所の方に食べていただく予定である。

さらには、畑の境界には柿、りんご、梨、栗、琵琶の苗木も植えた。何年後になるかは知らないが果実のなることも期待している。もう一つ実験的に小さいながら水田も作った。いつも食べている玄米の中に混ざっていた籾付のものを水に入れてマンションのベランダに置いておいたところ芽を出した。時期的には遅かったが田植えをした。いま稲穂が出ており、お米が採れるか楽しみである。

2009年5月5日火曜日

三春の滝桜(葉桜)

日本三大桜とは岐阜県の根尾谷淡墨桜、山梨県の山高神代桜、そして三春の滝桜をさす。八戸からの帰り道の途中、郡山で高速道路をおり三大桜で有名な三春の滝桜を見ることにした。この4月福島花見山を訪れたとき三春の滝桜は三分咲きとの情報を得ていたが時間がなく立ち寄ることが出来なかった。

連休のUターンラッシュで福島トンネル付近の渋滞はあったが停止することはなく午後3時ころには三春に着いた。すでに花は散り緑美しい葉桜に変貌していたが、その幹の太さには圧倒される。直径は2m以上か。1000年以上に渡って生き続けているという。その幹からのエネルギーは人間にも伝わるというが真実のように感じられた。次回はぜひとも花満開の時に来たいと思う。

磐越道から常磐道に入り、その後は渋滞もなくつくば自宅には夜7時ころに着いた。大きなトラブルもなく今回の東北ドライブ旅行を終えた。総走行距離1843kmであった。弘前で買ったりんごは旅行中食べきれずお土産として残った。