2009年4月12日日曜日

福島花見山の桜


先日つくば自宅に来客があり、その方から福島に花見山という桜の名所があると聞いていた。そしてタイミングよく 昨日のテレビでその花見山から中継でその桜を紹介していた。1軒の農家が所有している山にこつこつと桜などの花木を植え育て、きれいな花を皆さんに楽しんでもらいたいという善意で私有地を公開しているという。今日さっそく見に行くことにした。
行きは常磐道で途中高速道路から降りて郡山にある「銀河のほとり」というマクロビレストランで昼食をとった後、福島に着いた。その山近くになると車の渋滞となったが、阿武隈川土手に臨時駐車場がありなんとか駐車することが出来た。そこからは山の登り口まで臨時バスで行くことになった。
私有地であるため飲んだり食べたりの宴会はなく皆さん歩いて山の花を観賞しながら見て回るという楽しみ方である。桜のみならず、黄色い花、真っ赤な花、白い花などいろんな花を楽しむことが出来た。東京ではすでに桜は散りつつあるが、ここ福島ではちょうど満開で今年最後と思われる桜を満喫した。
帰りは福島市内の蕎麦屋でそば夕食をとり、東北道を南下しそのまま宇都宮まで走り、昨年末開通した北関東自動車道で常磐道に入った。今までは日光、那須などへ行くときはつくばからは在来の道を走らなければならず、時間がかかることが難点であった。高速料金がいるが、時間的には本当に便利になった。結局、往復630kmのドライブの一日となった。
ドライブしやすくなったと言えば、いま高速道路は1000円という特別料金になっており、本日の料金は締めて2000円で済んだ。しかし、給付金といい単純に喜んで良いのか。いずれ選挙が終われば大増税時代が来るのは目に見えているのだから。

2009年4月11日土曜日

福岡堰の桜


400年ほど前の江戸時代につくば西南に位置する谷和原、伊奈、藤代地区の広大な農地に水田灌漑用水路を確保するために小貝川に作られたのが福岡堰。その土手にいまでは1.7kmに渡って桜が植えられ桜の名所となっている。
                  
今週、東京からの帰りは高速道路を使わず在来道路をドライブしその途中、福岡堰を見て帰ることにした。しかし東京を出るのが遅くなり、結局福岡堰に着いたときにはすでに太陽は沈み桜を見ることは出来なかった。場所の確認だけは出来たことを良いとしてつくばに戻った。

そして今日、天気も良いので再度出かけた。福岡堰の駐車場はいっぱい。しばらく待っていたがまもなく空きができて駐車することができた。

用水路と小貝川の間の土手は桜のトンネルになっており、花見している人、散歩している人などで大変な人で賑わっていた。もうこの週末が最後のチャンスで、風に吹かれて花吹雪の様相も見られた。延々と続く桜並木。この堰・土手を作るには、多くの農民が使役として動員されたことだろう。年貢を納めるために農作業もしなければならない農民にとっては大変な苦しみではなかったのかと考えてしまう。

花見を楽しんでいる我々は、この堰・土手が作られたときの本当の歴史も知っておく必要があるように思う。残念ながらこの事業を企てた人だけが歴史の説明のかんばんには記載されている。名もない農民の血と汗の結晶がこの堰ならびに用水路であろうと思いつつ、美しい花の長いトンネルを往復した。

東京自宅の桜も散り始めており、この週末で関東地方の桜はシーズンを終わるようである。先日テレビで桜職人の名人が言っていたが、桜にとっては花を咲かせることがこの一年の終わりでこれから新しい葉が出てきて新しい年を迎えることになるそうである。人間にとっても春が実質一年の始まりといえる。

2009年4月8日水曜日

東京自宅マンションの桜


  今年もようやく桜が満開になった。3月末から4月はじめにかけて寒い日が続き膨らみかけていたつぼみが硬くなっていた。数日前から暖かくなりすっかり春の季節になった。東京のマンションに住み始めて30年弱になる。

  30歳にして東京に転勤になり、まもなく自宅を確保すべくいろんなところを探して回ったが、我々団塊の世代が大挙して住むところを購入しだしたときでもあった。霞ヶ関への通勤の便利なところということで都内のマンションを探したが、いつも希望者が多く抽選であった。何回もいろんな場所の申し込みをしたが落選ばかり。そういえば大学受験もある受けた大学は競争率40倍であった。今では考えられない数字であった。住むところを購入するのも競争になるとは思いもよらなかった。
 
  その結果やっと当選したのが今のマンション。ちょうど入居したのが3月でこの桜はその時から美しい花を咲かせてくれている。当時の幹は小さいものであったが、今では40~50cmはある。堂々とした木に成長した。秋には葉が紅葉し、春と秋の2度美しい光景を楽しませてくれている。
 
  ところで30年ほど前、このマンションに入居してまもなく駐車場に真っ赤な新車のポルシェがあるのに気がついた。運転手が近くから訪れて運転しているようであった。だれが乗っているのであろうかと思っていたが、この持ち主である住人はビートたけしであった。当時のその運転手が東国原宮崎県知事であったことは、知事に当選しテレビで昔話をしているのを聞いて知った次第である。知事は近くに下宿していたという。
 
  最初はあまり知られていなかったがまわりに知れるところとなりファンがうろうろするようになった。奥さん、子供と一緒に住んでおり、わが子供、妻とも仲良くしていた。家にお邪魔しその当時のタケチャンマンのぬいぐるみで遊んでいる写真が残っている。そしてまもなく白亜の大御殿に引越して行った。
 
  このような思い出もついこの間のように思い出される。5年ほど前には全面的リニューアルをして、バリアーフリーの構造に改造され新しい美しいマンションに生まれ変わっている。東京自宅では部屋から見下ろす形で花見が楽しめる。これからも毎年この桜が春を知らせてくれることを楽しみに過ごしたいと思う。